カタコトニツイテ

頭のカタスミにあるコトバについて。ゆる~い本の感想と紹介をしています。

「やがて海へと届く/彩瀬まる」の感想と紹介

156.やがて海へと届く/彩瀬まる

 

周りの人たちの命と私の命は、全然つながっていないんだなって、改めて思うとびっくりします(p.131)

 

震災によって唐突に居なくなってしまった友人の喪失感を埋められないまま日々を過ごす主人公は、彼女の元恋人から「形見分け」の申し出を受ける、彩瀬まるの長編小説。

 

最近、気になっていた作家さん。
古本屋で一番タイトルと表紙が印象的だったこの作品を選んだ。

 

この物語は、一人旅をしている途中で震災に遭い、行方不明となった親友の不在受け入れることができないまま日々を過ごす主人公の女性と、どこか現実味の無い街を彷徨いながら、自らが戻るべき場所に帰ろうとする「私」の二人の語り手によって綴られる。

 

彼女たちは大切な人を失った悲しみに打ちのめされる。
そして、その悲しみの受け入れ方の違いに戸惑いながらも、自らの人生を歩んでいく。

 

読んでいると、ぽつぽつと言葉が零れていくような、感情が一枚ずつ剥がされていくような、何か大事なものが失われていく感覚が襲ってきた。

 

彼女たちの運命を変えた、東北地方を襲った震災。
著者の彩瀬まるさんは、仙台から福島に戻る電車の中で被災された。

 

偶数章で、曖昧な記憶を辿りながら、出会う大切な人の名前も思い出せぬまま、それでも帰る場所があると信じている「私」の語りは、彩瀬さんにしか描くことのできない景色なのだろうと思う。

 

忘れ去ることと、思い出さないことは違う。
思い続けることと、忘れないでいることも違う。

 

喪失感はどれだけ濾しても薄まることのない泥水のようで、空白はずっと埋まることなく、ふとした瞬間に心を蝕んでいく。だからこそ、登場人物たちのように、悲しみを飲み込む方法をどこかで探し出さなければならない。

 

これからきっと、大切な人との別れは増えていく。
そんな悲しみに耐えなければならないと思うとやるせないし、心が空っぽになってしまう瞬間は必ずやってくるんだろう。

 

読み終わった後はすごく苦しいけれど
きっといつか思い出して救われる日が来る、そんな気がする。

 

では次回。

「死刑にいたる病/櫛木理宇」の感想と紹介

155.死刑にいたる病/櫛木理宇

 

間違いない。

いま目の前にいる男は、正真正銘の人殺しなのだ。(p.35)

 

鬱屈とした日々を送る大学生の主人公は、牢獄に囚われた連続殺人鬼から事件の再調査を頼まれたことから、さらなる闇に引き込まれていく、櫛木理宇の長編ミステリ。

 

個人的にホーンテッド・キャンパスの印象が強かったので、
こんなにも冷酷で鬱々としたストーリーも描けることにびっくりした。

 

第一希望の大学に入学することが叶わず、交友関係もままならないまま孤独な大学生活を送っていた主人公の元に、ある一通の手紙が届く。

 

その差出人とは、子どもの頃、常連として通っていたパン屋の主人であり
24人の少年少女を殺害して死刑判決を受けた連続殺人鬼『榛原大和』だった。

 

精悍な顔立ちと柔らかな人柄によって、周囲から絶大な信頼を得ていたにも関わらず、裏ではハイティーンの少年少女を残酷な手法で嬲り殺していた彼からの依頼とは、自ら起こした連続殺人にカモフラージュされた、たった一件の冤罪証明。

 

主人公は彼の行動を不審に思いながらも依頼を承諾し、事件の真相を探っていくが、次第に『榛原大和』の内に潜む陰りに魅せられていく。

 

一人のシリアルキラーの生い立ちから、犯罪に手を染めていくまでの過程を辿っていくにつれて、彼の壮絶な人生に主人公もろとも、張り付いていた心象が揺り動かされる。

 

何よりも、主人公の良き理解者として対話する大人としての顔と、連続殺人鬼として暗躍する裏の顔が、ずっと同一人物として重ならないまま物語が進んでいくことが恐ろしかった。

 

映画化された予告映像を見たら、阿部サダヲがそのまますぎて。
目の前に現れたら、立ち竦んでしまうかもしれない。

 

では次回。

「パーフェクトフレンド/野崎まど」の感想と紹介

154.パーフェクトフレンド/野崎まど

 

私達は、友達とは何なのかをまだ知らない(p.51)

 

小学校に通う少女たちは不登校の同級生を連れ戻す「友達」とは何かを見つけようとする、野崎まどの友情ミステリ。

 

少女たちのほのぼのとした他愛の無い日常を描いた物語。
と、思って読んでいると不意打ちを喰らう。

 

学校の先生から不登校の少女の元を訪れて欲しいと頼まれた主人公は、友達を引き連れて彼女の家を訪れる。

 

しかし、彼女は決していじめを受けているから来ない訳ではなく、学校に行く価値を感じられないほど、勉学が達者な超天才少女だった。

 

主人公たちはどうにかして登校するように彼女を説き伏せるため、友達を作ることの大事さを伝えようとするが、理論的に「友達」作りを解明する彼女にはなかなか響かず、奇妙な友達関係は続いていく。

 

野崎まどさんの物語にはいつも明確な「テーマ」がある。
そして、その「テーマ」誰も見たことが無い角度から魅せることができる。

 

この作品では「友達」とは何なのか、なぜ「友達」が居ることが大事なのかを、個性豊かな小学生の登場人物たちの視点から描きつつ、コミカルな会話にはいくつもの伏線が潜んでいる。

 

実際、これまで気にもしなかったこと、当たり前だと思っていたことに目を向けてみると、意外と深くまで物事に浸って没入することができたりする。

 

その瞬間が、意図していない方向から飛んでくる魅力があるからこそ、自分は本を読み続けることができるんだろうな。

 

では次回。

「アイネクライネナハトムジーク/伊坂幸太郎」の感想と紹介

153.アイネクライネナハトムジーク/伊坂幸太郎

 

「いいか、後になって『あの時、あそこにいたのが彼女で本当に良かった』って幸運に感謝できるようなのが、一番幸せなんだよ」(p.28)

 

登場人物たちが何気なく日々を過ごす中で起こる出来事に、小さな奇跡が重なり合って物語が紡がれる、伊坂幸太郎連作短編集。

 

近年、実写映画化された作品でもあり、もう読んだと思い込んで映画館に行ったら実は未読だったという、思い出深い作品でもある。

 

それぞれの章に登場する人物たちは、誰も彼もが順風満帆な人生を送っているわけではなくて、溜め息を一つ吐いて、道に転がる石ころにつまづきながらも、楽しいだけじゃない日々を踏みしめながら歩いていく。

 

それでも、彼らの生活に息づくちょっとした行動や会話を覗いてみると、何だか悩むのも馬鹿らしくなるような、不器用で憎めない人間味に溢れている。

 

この作品で起こる、小さな奇跡。

 

それは奇跡と呼ぶには些細なものなのかもしれないけど、それを表現するにはやっぱり奇跡と形容するしかなくて、形を変えながら登場人物たちの明日を照らしていく。

 

この作品を読み終わった後は、情けなくも愛おしい登場人物たちを想いながら、嫌でも迫ってくる面倒な明日にちょっとだけ期待してみたくなる。

 

ちなみにアイネ・クライネ・ナハトムジークとはドイツ語で「ある小さな夜の曲」という意味。でも、曲は体が弾んでいくような心地良いメロディなので、小さくもないし夜の曲でもない気がしてならない。

 

では次回。

 

「喜嶋先生の静かな世界/森博嗣」の感想と紹介

152.喜嶋先生の静かな世界/森博嗣

 

「既にあるものを知ることも、理解することも、研究ではない。研究とは、今はないものを知ること、理解することだ。それを実現するための手がかりは、自分の発想しかない」(p.109)

 

文字を読むのが不得意だった主人公は、大学4年生の時に出会った喜嶋先生が所属する研究室での日々によって、学問の尊さと研究に勤しむ時間の大切さに気付かされる、森博嗣の自伝的小説。

 

本の帯には気持ちが疲れている時人生に迷った時
心を整えてくれる本だと謳われていた。

 

読んでいると、目論みのない純粋な興味を
何かにまっすぐぶつけたくなる衝動に駆られる。

 

物語自体は、主人公の一人称語りで淡々と進んでいく。生まれてから大学に入学するまでの周りとの温度感の隔たり、大学での失望感と味気のない生活、そして、喜嶋先生との運命の出会い。

突飛な出来事はほとんど起こらない。
劇的な事件が起こることもない。

 

それにも関わらず、この物語における主人公の人生を追っていくと、ふと自分の人生を振り返るために一歩立ち止まって、遠くの景色を見渡してみたくなった。

 

自分は理系には進まなかったので、研究をしたこともなければ、何度も実験を繰り返して自らの考えを実証しようと試みたことはない。

 

それでも、主人公や喜島先生がひたむきに学問と向き合い、決して成果には結びつきづらいとしても、純粋に研究を楽しみながら日常を過ごしていく彼らの姿に、ただただ惹かれていってしまった。

 

何より、物語の各所で登場する喜嶋語録の数々は、どれも物事を俯瞰で捉えていて、きっと一人では気づけなかった事ばかり。学問における王道と同じように、自分もどちらへ進むか迷った時は、歩くのが難しい険しい道を選んでいきたいと思った。

 

では次回。

「ムゲンのi/知念実希人」の感想と紹介

151.ムゲンのi/知念実希人

 

本来、夢っていうものはすぐに醒めるものだ。
もっと脆くて儚いものだ。(p.58)

 

永久に眠り続ける病気を発症した患者を救うため「ククル」と呼ばれる生命体とともに夢の中を彷徨いながら、隠された真実を究明する、知念実希人の長編小説。

 

医療ミステリーを多く書かれている著者の作品の中でも、珍しく本書ではファンタジーの要素が多分に盛り込まれている。

 

神経内科医である識名愛は、目を醒まさず眠り続ける「イレス」と呼ばれる謎の病気にかかった患者たちを担当することとなり、治療法も分からぬまま途方に暮れていた。

 

そんな中、主人公自身が元霊媒師の祖母から受け継いだ「ユタ」と呼ばれる力を使って患者の魂を救済することで、病気を治せる可能性があることが分かる。

 

彼女は「ユタ」の力を使い、眠り続ける患者たちの夢の中に入り込んで、彼らを衰弱させることになった決定的な原因を探しに行くが、その場所は現実世界の法則が全く通用しない異世界空間であった。

 

それでも、パートナーである魂の分身「ククル」とともに、夢幻の世界を冒険しながら、彼らが「イレス」を発症するに至った過程を追体験していく。

 

実際はともかく、夢の世界というのは人によって全く別物で、それぞれ思い思いの世界が広がっているのだろうと思うし、ある意味、自身の意思や感情が色濃く反映された場所でもあると思っている。

 

もしかしたら、目を覚ますと大抵の記憶を失ってしまう夢の中で、本当は大事な出会いを果たしているのかもしれないし、忘れたくない思い出を忘れてしまっているのかもしれない。

 

この作品を読んでから
夢を見るという行為がとても尊いものに感じられるようになった。

 

出来れば覚めたくないと思える夢に、いつか出会ってみたい。

 

では次回。

「六人の嘘つきな大学生/浅倉秋成」の感想と紹介

150. 六人の嘘つきな大学生/浅倉秋成

 

誰もが胸に『封筒』を隠している。
それを悟られないよう、うまく振る舞っているだけ。(p.234)

 

瞬く間に世間の羨望を集めたベンチャー企業の最終選考に残った六人の就活生は、内定を賭けた最後の議論の場で嘘と欺瞞に塗れた事件に巻き込まれていく、浅倉秋成の長編小説。

 

今年の本屋大賞候補作を読むのは、この作品で四作目。
緊迫した展開と見事な伏線回収。想像してたものと少し違った読後感だった。

 

目下、成長著しいIT企業「スピラリンクス」が満を辞して募集を開始した新卒採用の狭き門を潜るべく、数々の選考を乗り越えて残った六人の就活生たちは、最後の課題であるグループディスカッションに向けて交流を深めていく。

 

誰もが自らの能力を遺憾無く発揮し、チームとして一つになりかけてた彼らだったが、本番直前に通達されたのは「六人の中でから一人だけを採用する」という非情な決定だった。

 

打って変わってライバル同士になった彼らは戸惑いながらも冷静に議論を交わしていくが、一つの謎の封筒が契機となり、それぞれの罪と嘘が明らかになる。

 

登場人物たちは、それぞれが隠していた一側面を巡って、誰かを疑い、自らを庇う。

 

二転三転して紛糾する議論の行方と隠された真実が明らかになった時、自分がこれまで見ていた出来事からかけ離れた結末に驚愕する一方で、どこか腑に落ちる瞬間があった。

 

人はなぜか「自分から見えているもの」がその人の全てだと錯覚して、事実も人格も言葉も、何もかもを分かったように振る舞ってしまう。実際のところ、それが表なのか裏なのかすら分かっていないにも関わらず。

 

でも、そうやってふと現れた人の一面が表か裏かを見破れる人なんてこの世に存在しなくて、もしかしたら本人にだって分からない。

 

それならば、自分の見ている側面が表か裏か断定しようと躍起になること自体、意味の無いことなのかもしれない。

 

それにしても、読んだのが就活を経験してからで良かった。
何にも信じられなくなるところだった。危なかった。

 

では次回。