カタコトニツイテ

頭のカタスミにあるコトバについて。ゆる~い本の感想と紹介をしています。

「黒牢城/米澤穂信」の感想と紹介

168.黒牢城/米澤穂信

 

考え尽くして決したことには、その結果はどうであれ、村重が悔いることはない。だが、考えが及んでいなかったことにはーーー薄い、紙のように薄い、悔いが残る(p.261)

 

織田信長に叛逆の意を示した荒木村重は、籠城する城の地下牢に捕らえた黒田官兵衛とともに、城内で起きた不可解な事件を推理する、第166回直木賞を受賞した米澤穂信長編歴史ミステリ

 

天上六年、摂津国の主であった荒木村重は、天下に名を轟かせていた織田信長に反旗を翻し、敵対する軍勢に対して籠城戦にて迎え撃つ。

 

しかし、毛利の援軍が来るまでの間、城内での生活を余儀なくされた荒木軍勢の周辺では、たびたび不可解な事件が発生する。

 

神の御業かと思しめき出来事に相対するのは、領主である荒木村重と城の地下へと幽閉されている黒田官兵衛。彼ら二人の推理は、やがて乱世を分岐する大きな決断へ誘っていく。

 

侍が天下を奪い合う時代において、トリックアリバイと言う概念は存在しない。

 

そんな状況の中で犯人や真相を絞り込んでいくため、詮議による犯人探しや御前衆を使った現場検証など、現世では起こり得ない捜査が作品内では行われている。

 

また、物語の中で綴られる習わしや常識、宗教観、そして人々の生活に息づく死生観は、まさしくこの時代において渦巻いていた風潮であり、当たり前に過ぎていく日常に他ならない。

 

さらには、冬から季節を巡っていくにつれて、仲間内での争いや疑いによって生まれる澱みが滞留していく城中の様子が、一つ一つ丁寧に描かれていたのが印象的だった。

 

戦の世でひっそりと浮かび上がる事件も米澤さんの手にかかれば、歴とした日常の謎へと変貌を遂げるのだと、改めて思わせられた作品。

 

では次回。

「金の角持つ子どもたち/藤岡陽子」の感想と紹介

167.金の角持つ子どもたち/藤岡陽子

 

「おれだけが感じていることだと思うけど、角は子どもたちの武器なんだ。自分の力で手にした武器だ。金の角はきっと、あの子たちの人生を守ってくれる」(p.255)

 

突如、サッカーをやめて塾に通いたいと言い出した少年は、誰にも言えない秘密を抱えながら中学受験に挑む、藤岡陽子の長編小説。

 

小学6年生になった俊介は、それまで7年間続けていたサッカーを諦めて、日本最難関と呼ばれる東京の中学校に通うため、塾に通わせて欲しいと両親に頼み込む。

 

母の菜月は、家庭の苦しい台所事情がありながらも、自らが諦めざるをえなかった夢の道を閉ざしたくなくて、息子の夢を応援することを決意する。

 

しかし、息子の俊介にはある秘密があった。
小さな体の奥底に抱え込み、誰にも打ち明けずにいた秘密が。

 

この作品では3人の語り手の視点から物語が綴られる。
母である菜月の視点、息子である俊介の視点
そして、塾講師の加地先生の視点。

 

持ち前の負けん気でひたむきに努力を続ける俊介の成長はもちろん、彼を支えるため自らの生活を変えようと奮闘する母親の姿、そして、子どもたちが夢を叶えられるように、挑戦する気持ちの大切さを説く先生たちの姿にも胸を打たれる。

 

無謀とも言える挑戦でも、立ち向かっていくこと。
そして、挑み続けることで、人は自分を変えていくことができる。

 

親と子、それぞれが自分の夢にどうやって折り合いをつけていくか。決して中学受験の良し悪しではなく、もっと先の人生を豊かに歩んでいくために、何かに向かって全力を尽くす経験がどれほど貴重なことなのかを教えられる。

 

夢を目指す子どもたち、そして、いくつになっても夢に向かって一歩を踏み出したいと思い悩んでいる人たちに読んでほしい物語。

 

では次回。

「ソロモンの偽証/宮部みゆき」の感想と紹介

166.ソロモンの偽証/宮部みゆき

 

声が伝わる。空を飛び交う。行っては戻り、戻ってはまた投げ返される。心を乗せ、時には取りこぼしながらも。想いを告げ、時には嘘を交えながらも。(第1部 上 p.408)

 

一人の生徒の自殺から始まった一連の事件に終止符を打つため、生徒たちは真実を追い求める学級裁判を開廷する、宮部みゆきヒューマンミステリー。

 

全3000ページを超える一大巨編。
しかし、登場人物たちが行動に至るまでの想いが細部まで深掘りされているため、全く物語の間延びを感じさせない。むしろ、物語の密度に驚かされる。

 

雪が降りしきるクリスマスの夜、ある中学校で一人の生徒が命を絶った。

 

誰とも人付き合いすることなく、クラスで孤高の存在であった彼の死は、当初、疑いようのない「自殺」だと断定されていたが、関係者に届いた告発状の手紙がその状況を一変させる。

 

不必要な介入を嫌がる学校側、我が子の生活を守りたくて必死な保護者側、さらなる真実を追求しようと囃し立てるメディア、そして、新たに立ち込める不可解な噂。

 

様々な人物の思惑が交差する中、悪意も善意も引っ括めたありとあらゆる行動が、さらなる負の連鎖を引き起こしていく。

 

そんな混乱に塗れた状況の中で、真実を有耶無耶にしないために、そしてクラスメイトの死の真相を明らかにするために、生徒たちは権力や圧力に抗いながら、自らの手で裁判を開くことを決意する。

 

勇敢な彼らが立ち向かうものは、事件そのものではなく、誰かがひた隠しにする真実であり、これまで見ようとしてこなかった人々の行き場のない悲痛な想いだった。

 

決して自己満足ではなく、続々と露わになる真実に傷つきながらも、その事実から目を逸らすことなく、真摯に受け止めていく彼らの勇姿を目に焼き付けて欲しい。

 

では次回。

「闇に香る嘘/下村敦史」の感想と紹介

165.闇に香る嘘/下村敦史

 

「完全な暗闇に思えても、必ず光は存在する。それに気づかないと、自分で自分を不幸にしていくだけなんだろう。」(p.245)

 

両目を失明した主人公は、今まで兄だと信じていた人が本物の兄なのかを疑い始める、下村敦史の長編ミステリー。

 

あるきっかけで両目を失明してしまった主人公の和久は、孫への腎臓移植のため検査を受けるも、自身の腎臓が移植に適さないことが事実を知らされる。

 

途方に暮れる中、藁をも掴む思いで兄の竜彦に移植を引き受けてくれないかと懇願するが、彼は頑なに依頼を拒み、腎臓移植に伴う適性検査さえも拒否されてしまう。

 

そんな断固とした兄の姿勢に疑問を抱き始めた和久は、彼の些細な行動に不自然な点を数多く発見すると、恐るべき疑念が頭の中を渦巻くようになる。

 

兄は本当に、血の繋がった兄弟なのか。

 

27年前、中国残留孤児として日本に帰国した兄。
当時、主人公は失明していため、彼の姿をその目で見ることはできなかった。

 

兄の真実を探るため、主人公は独自の調査を開始するが、様々な関係者の証言を聞く内に、徐々に目には見えない深い闇に飲まれていく。

 

物語をどれだけ読み進めようと、まるで真っ暗闇の中を歩いているかのように、真実の輪郭さえ輪郭さえ見ることは出来ない。その先の見えない恐ろしさが、より劇中内での緊迫感を増幅させていた。

 

また、この作品では、目の見えない人の所作や行動がつぶさに描かれている。光の無い世界で音を頼りに生活する様子、街を歩く際の不安、そして、そんな彼が生きていかなければならない周りの環境が、どこまでもリアルに映し出される。

 

そして、待ち受けるのは予想もできない真実。
物語の背景に流れる歴史をもっと知りたくなった。

 

では次回。

「夜市/恒川光太郎」の感想と紹介

164.夜市/恒川光太郎

 

やがて夢は現実にとすりかわる。(p.63)

 

この世のものではない妖怪たちが、様々な品物を売る「夜市」に紛れ込んだ人々の儚い人生が描かれる、恒川光太郎ホラーファンタジー

 

逢魔が時に突如として現れては、森の奥で夜な夜な開かれる「夜市」
その場所では、望んだものが全て手に入る。

 

しかし、その「夜市」に迷い込んだが最後、闇の中を彷徨い続け、何かを買うまで外に出ることはできない。

 

主人公の青年は、小学生の頃に迷い込んで以来、再びその「夜市」を訪れる。
野球の才能と引き換えに売ってしまった、弟を取り戻すために。

 

この作品で描かれるのは、狂気的なホラーではなく、背筋がひんやりとする怪談を聞いた時に感じる、暗闇に消え入っていってしまうかのような恐怖。

 

そして、そんな風前の灯のような儚さを伴った恐怖は、文章に滲む神秘的な表現によって、幻想と現実が入り混じった不思議な情景を作り出している。

 

特に、後半に収録されている「風の古道」は、その世界観、物語に否応なく引き込まれた。古くから伝わる昔話を読んだ時のような懐かしさを憶えた。

 

出逢ってはいけない、それなのに、不意に誘われてしまう危うさ。
そんな魅惑の世界が広がっているので、夏の短夜に読んでみて欲しい。

 

では次回。

「十二人の死にたい子どもたち/冲方丁」の感想と紹介

162.十二人の死にたい子どもたち/冲方丁

 

「あの方は、どなたですか?」(p.68)

 

自らの命を絶つため廃病院に集まった十二人の少年少女は、閉鎖空間で起こる謎について議論を重ねる、冲方丁の長編ミステリー。

 

十二人の少年少女たち
それぞれ切実な想いを携えて、自らの意思で廃墟と化した病院を訪れる。

 

育った境遇年齢もバラバラの彼らが、唯一共通しているここに来た目的。
それは、苦しまずに死ぬこと。

 

全員一致の場合のみ、集団自殺を行うという取り決めのもと、決議がなされようとした瞬間、彼らは病院のベッドに寝かせられた、この場所にいてはならない「十三人目」の死体の存在を目の当たりにする。

 

予定調和で進んでいくはずの議論は、たった一つの謎が入り込んでしまった事により、うねりを伴って予想もつかない方向へ舵を切っていく。

 

また、十二人の少年少女たちの視点を目まぐるしく行き来するごとに、彼らが抱く等身大な葛藤が伝わり、終盤ではそれぞれを見る目が次第に変化していたことに気づく。

 

決して、共感を抱くことも、憧れを持つこともない。
それでも、彼らが最後に下した決断には、どんなものにも変え難い意義があると思った。

 

では次回。

「今日のハチミツ、あしたの私/寺地はるな」の感想と紹介

 

162.今日のハチミツ、あしたの私/寺地はるな

 

自分の居場所があらかじめ用意されている人なんていないから。いるように見えたとしたら、それはきっとその人が自分の居場所を手に入れた経緯なり何なりを、見てないだけ。(p.162)

 

恋人の故郷で養蜂を学ぶことになった主人公は、その場所で関わる人々とともに過ごす日々の中で、かけがえのない想いに気づいていく、寺地はるなの長編小説。

 

主人公のは恋人からの誘いを受けて、彼の故郷へとやってくるが、とある理由から自らの力だけで生活することを余儀なくされる。

 

帰る場所もなく、戻る家もない彼女は、それでも明日を生き抜いていくため、山の小屋で養蜂園を営む男性を訪ねて、養蜂を学ばせてもらえるよう懇願する。

 

どれだけへこたれようとも、憂鬱になろうとも、決して放り投げはせずに受け止めて、割り切った上で前へ進む道を見つけ出そうとする。真面目だけど、時には突拍子もない決断をする主人公の柔軟な考え方に、顔を上げて歩き出す勇気を貰えた。

 

ぶっきらぼうな人、素直じゃない人、頼りない人。誰もが自らの本心を語らないままやり過ごそうとしていた中で、まるでハチミツのように優しい一滴の雫が、彼らの心をまろやかに溶かしていく。

 

また、この作品では、養蜂園での働き方蜂の習性など、普段知ることのできない養蜂家の裏側を覗くことができる。

 

それにしても、作中でこれでもかと蜂蜜を使った料理が登場するので、実際に試してみようかなという気持ちにさせられる。主人公の思う壷かもしれない。

 

では次回。