カタコトニツイテ

頭のカタスミにあるコトバについて。ゆる~い本の感想と紹介をしています。

「ラブカは静かに弓を持つ/安壇美緒」の感想と紹介

192.ラブカは静かに弓を持つ/安壇美緒

 

音楽というのは、不思議だ。
いま目の前にないはずの情景を呼び起こすことができる。(p.47)

 

上司から音楽教室への潜入調査を命じられた孤独な青年は、チェロ講師である浅葉と出会い、音楽を通して自らの人生と向き合い始める、安壇美緒2023年本屋大賞候補作

 

音楽著作権を管理する会社に勤務している主人公は、ある日、街の音楽教室からも著作権料を徴収しようと画策する上司からの命令で、株式会社「ミカサ」が運営する音楽教室二年にわたって潜入捜査をすることになる。

 

少年期にチェロを弾いていた主人公は、過去のトラウマから楽器に触れることなく後の人生を送っていたが、潜入することになった音楽教室で出会ったチェロ講師の浅葉の演奏に魅了され、再び、チェロを手にする。

 

長年、深く暗い場所に閉じ込められていた主人公だったが、浅葉先生が奏でる音の響きや音楽によって育まれた想像が、真っ暗闇に包まれていた彼の視界に少しずつ光を差し込み始めていく。

 

さらに、音楽教室での交流が増えていくにつれ、無機質だった彼の生活にも淡く色がつき始めるが、ふとした瞬間、スパイとして潜入している自らの立場が頭を掠め、相反する感情に苛まれていく。

 

音楽には知らない風景も、懐かしい情景も、忘れていた記憶さえも
瞬く間に目の前に呼び起こす力がある。

 

実際、学生の頃からずっとそばにあった音楽は
今、聴いても一瞬で時空を飛び越えて、あの時まで心を飛ばしてくれる。

 

だからこそ、暗い海の底に落ちてしまった時も、信頼関係が壊れてしまいそうになった時も、音楽に救われ、発破をかけられ、背中を押される主人公の姿を他人事だと思えなかった。

 

では次回。

「方舟/夕木春夫」の感想と紹介

191.方舟/夕木春夫

 

「愛する誰かを残して死ぬ人と、誰にも愛されないで死ぬ人と、どっちが不幸かは、他人が決めていいことじゃないよね」(p.197)

 

謎の地下建築に閉じ込められた9人の男女が、迫り来るタイムリミットの中で起こる殺人事件の犯人を突き止めようと先に驚愕の真実が待ち受ける、夕木春央長編ミステリ。

 

これぞ、まさに一気読み。途中で止められる訳がなかった。

 

友人たちと共に山奥の地下建築を訪れた主人公たちは明け方、突如、起こった地震によって建物内に閉じ込められてしまう。

 

さらには、その場所は地下から流入し始めた水によって、七日後には水没する危険性があり、一人を犠牲にしなければこの場所から逃げ延びられないことが発覚する。

 

一行はどうにかして脱出するために建物内を散策していたが、その最中、友人の一人が首を絞められて殺されている姿が発見され、事態はより一層、混沌の一途を辿っていく。

 

この物語に漂うのは、真綿で首を絞められているかのようなじりじりと迫り来る不安と考えれば考えるほど闇に飲み込まれしまいそうになる袋小路の恐怖感。

 

何よりも、どこにも出口が見当たらない空間において、登場人物たちが陥る思考のどれもが妥当でリアリスティックに感じられるのが、より絶望感を際立たせていた。


また、カルネアデスの板を奪い合うような、心理的な駆け引きが巻き起こる空間が組み込られているにも関わらず、そんな展開が違和感なく起こりうる舞台が自然と設置されていることが素晴らしい。

 

自らが生き残るために誰かを犠牲にすることは罪になるのか。
その答えを探しながら、最後まで読み続けて欲しい。

 

では次回。

「シャドウ/道尾秀介」の感想と紹介

190.シャドウ/道尾秀介

 

人は、死んだらいなくなる。いなくなって__

ただ、それだけ。(p.150)

 

妻を亡くした父親と小さな息子の周りでは、幼馴染の母親の自殺を皮切りに次々と不幸が起こる中、予想もつかない真実が最後に明かされる、道尾秀介の長編小説。

 

高校生の頃に読んだ思い出深い小説。
道尾さんが描く少年は、不安定だけども芯は折れない、そんな大人になる前の心の内を秀逸に表現していて、不安と希望が入り混じった不思議な感覚になる。

 

母親を癌で亡くしたことから、小学5年生の凰介は病院に勤務している父親の洋一郎とともに、二人だけの生活を始めることになる。

 

しかし、その数日後、幼馴染である女の子の母親病院の屋上から飛び降りて自殺してしまう。

 

父と子、二人の視点から物語が進んでいくにつれて、どこか不可解な行動や不穏な空気を彼ら自身も感じ取っていくものの、その怪しげな部分を見いだせないまま、不幸な出来事は連鎖していく。

 

そして、その不可解な行動の真相が明かされた時、夜の静けさを破りさるように、読者は脳裏に描いていた世界が一変するような感覚に襲われる。

 

ささやかな幸せを願う少年が暗い闇に飲み込まれないように、辛い出来事が立て続けに起こる中でも、決して弱い心を見せずに気丈に振る舞い続ける。

 

序盤では父親にとって守られる存在として認識されている少年が、次々と降りかかる謎に臆せず挑んでいくことで、信じる人を守るために成長していく姿に胸を打たれた。

 

では次回。

「君のクイズ/小川哲」の感想と紹介

189.君のクイズ/小川哲

 

クイズに答えているとき、自分という金網を使って、世界をすくいあげているような気分になることがある。僕たちが生きるということは、金網を大きく、目を細かくしていくことだ。(p.44)

 

クイズ番組の決勝で1文字も問題が読まれないうちに正解を言い放った対戦相手の不可解な優勝劇に対して、主人公は彼の人生を紐解きながら事の真相を解明しようとする、小川哲の長編小説。

 

QuizKnockが好きで良く動画を見ていたので、コンマ1秒の世界で戦っているクイズプレイヤーの凄まじさについては承知の上で読み進めることができた。あの世界には本当に化け物しかいないから。

 

クイズ番組「Q -1グランプリ」の決勝に出場した主人公は、対戦相手である本庄絆と接戦の末、最後の一問を正解した方が勝ちという状況まで持ち込む。

 

しかし、最後の一問、出題者の声が聞こえる前に解答ボタンを押した本庄絆は、呆気に取られる周囲の人々を尻目に正解を言い放ち、瞬く間に優勝をかっ攫っていく。

 

この前代未聞の事態に参加者や視聴者たちは不正があったのではないかと訝しみ、クイズ番組の制作者や本庄絆に対して説明を求めるが、結局、納得のいく説明がないまま真相は闇に葬られてしまう。

 

それでも主人公は、なぜ本庄絆が1文字も問題を聞かないで答えを叩き出したのかを知るために、彼の人生を調べ上げると同時にクイズ番組の決勝を振り返る。

 

真っ直ぐに向けられるクイズへの純粋な愛と、クイズの本質を解体しながら大きな謎に迫っていく感覚は、どんなエンターテイメントにも引けを取らないワクワク感をもたらしてくれた。

 

何よりも、謎を解き明かす過程で主人公の人生が回想され、今まで出逢った出来事が記憶となり、体験と紐づいた知識となって閃きへと生まれ変わる瞬間は、きっとクイズの世界でしか味わえない快感なんだろうと思わせられた展開だった。

 

では次回。

「生ける屍の死/山口雅也」の感想と紹介

188.生ける屍の死/山口雅也

 

「そうじゃ、死者が甦る奇妙な世界。わしらは、死者の甦りという前代未聞のやっかいな要素を推理の中に織り込んでいかねばならん」(p.440)

 

アメリカ全土で巻き起こる死者が蘇る怪奇現象によって、死者となっても生き返ってしまった主人公は、肉体が朽ちる前に一族を襲う殺人事件の真相を暴くため奔走する、山口雅也の長編ミステリ。

 

霊園経営者一族であるバーリィコーン家が暮らす「スマイリー霊園」では、領主であるスマイリーの遺産相続を巡って、互いを牽制し合う重苦しい雰囲気が流れていた。

 

そんなバーリィコーン家の中でも、遠い血縁者としてニューイングランドの片田舎にやってきたパンク少年のグリンは、辛気臭い家の雰囲気にうんざりとしながらも、同じ想いを抱いていたチェシャというおてんば少女とともに自由な生活を送っていた。

 

しかし、そんな最中にも、アメリカの各地では死者が相次いで蘇る現象が続出しており、その魔の手はやがて「スマイリー霊園」にまで及び始める。

 

殺されたにも関わらず動き出す死者たち、突如として消える遺体、さらには事件現場に残された不可解な状況によって、事態は混沌を極めていく。

 

あらすじだけ見ると悲劇的な世界にも思えるが、物語を読んでみるとところどころにコメディ要素が詰まっていて、登場人物たちもどこか呆れ気味にこの茶番劇の行方を見つめているように感じた。

 

死を強く想うが故に、生を強く実感する。
そんな思想が取り巻く世界で、死者が生者となって世界を闊歩する。

 

死者と生者の境目となっていたはずの「死」が意味をなさなくなったこの物語の舞台で、曖昧になっていく境界線を浮き彫りにする「死生観」に焦点を当てているところが印象的で面白かった。

 

また、これほど突飛な設定にも関わらず、ミステリとしての面白さを失わないように伏線を張り巡らしながら、登場人物たちの特殊で繊細な心の動きを描いている。

 

それゆえに、現実で会っても友達になれる気が全くしない登場人物たちを励ましたり、ちょっとしたツッコミを入れたくなったりするのかもしれない。

 

では次回。

「怪笑小説/東野圭吾」の感想と紹介

187.怪笑小説/東野圭吾

 

タヌキが飛んだ。彼はそう思った。キューちゃんがタヌキ以外の何かである可能性については全く考えなかった。(p.113)

 

どことなく怪しい雰囲気を醸し出しながら、滑稽にも思える人々の行動をつぶさに描き出した、東野圭吾短編小説

 

UFOの正体は超能力を扱うたぬきだと信じる男
芸能人の追っかけにのめり込んでしまった、年金暮らしの老女
無人島に流れ着いた人々の娯楽として、昔の相撲実況を再現する元アナウンサー

皮肉めいたテーマの中で踊らされる登場人物たちを滑稽に描き出すと同時に、有名小説のオマージュ現代風刺に思える描写など、ところどころに毒を忍ばせた物語は、読者を不思議な読後感へと誘っている。

 

特に好きだったのは「逆転同窓会」「しかばね台分譲住宅」で、どちらも傍目で見ていると滑稽極まりないのだけど、物語の着地の仕方によって謎の満足感が残った。

 

また、東野さん現実のどこかに居そうな人々の性格や行動をキャラに落とし込むのがとても上手だと改めて感じた。

 

実際、読んでいる人が登場人物たちのことを客観的に嘲笑っているように、自身も登場人物たちのように周りから見られていることもあるのかもしれない。

 

では次回。

「ブラフマンの埋葬/小川洋子」の感想と紹介

186.ブラフマンの埋葬/小川洋子

 

考えている時のブラフマンが僕は好きだ。
普段落ち着きのない尻尾も、思慮深くゆったりとしている。
眉間に寄るT字型の皺はりりしくさえある。(p.55)

 

芸術家の創作活動を手助けするために作られた別荘で、彼らの世話をする僕のもとにある日やってきたブラフマンと名付けられた生き物とのひと夏の交流を綴った、小川洋子第32回泉鏡花賞受賞作。

 

愛おしさと憂いを帯びた一冊。
いつまでも忘れずに、心の奥底に留めていたい物語だった。

 

ある出版社の社長の遺言によって、あらゆる芸術の創作活動のための作業場として提供されることになった「創作者の家」と呼ばれる別荘。

 

楽家や小説家、碑文彫刻家まで、幅広い種類の創作家が訪れるこの場所で、芸術家たちの世話をする役目を授かっていた「僕」のもとに、ある日の朝、傷だらけで全身に怪我を負った生き物が現れる。

 

手当てをしたその小さな生き物に「僕」は、サンスクリッド語で「謎」という意味がある「ブラフマン」という名前を授け、生活を共にすることになる。

 

尻尾が長く、小さな水かきを持っていて、自由奔放なのに暗闇が苦手で、四六時中どこでも眠れる。そんなブラフマンの姿を読者は想像でしか思い描くことはできない。

 

それでも、彼が「僕」と生活をする最中に見せる、一挙手一投足、その全てが愛おしく、ブラフマンをしつけながらも滲み出る愛情を隠しきれない「僕」の心中に深く共感の念を抱いてしまった。

 

そして、彼らが住まう村に漂う異国情緒と現実離れした世界観を創り上げているのは、物語に散らばった情景描写と言葉。

 

スズカケの葉、オリーブ林、ラベンダーの棺。自然と編み込まれた幻想的な世界を、縦横無尽に駆け回るブラフマンの姿とそれを見守る「僕」の関係は、いつまでも眺めていたいと思わせられるほど尊いものだった。

 

小川さんの物語には、永遠に続いて欲しいと願う幸せや優しい世界が、何の前触れもなく唐突に途絶えてしまう儚さが存在している。それは、現実でも同様で、だからこそ、そんな世界を愛してやまないし、いつまでも続いて欲しいと物語に願うのだ。

 

自分は「僕」とブラフマンがオリーブ林を駆け抜けていく描写が好きだった。感情を抑えきれず走り回りながら、「僕」がついてきてるかを逐一、確認する律儀なブラフマンが可愛くて仕方がなかった。

 

では次回。