カタコトニツイテ

ゆる~い本の感想と紹介をしています。想うこともつらつらと。

「神去なあなあ日常/三浦しをん」の感想と紹介

174.神去なあなあ日常/三浦しをん

 

「手入れもせんで放置するのが『自然』やない。うまくサイクルするよう手を貸して、いい状態の山を維持してこそ、『自然』が保たれるんや」(p.156)

 

都会で過ごしていた高校生の主人公は卒業と同時に、実家から遠く離れた山奥へと放り込まれ、森と共に生活する人々のもとで成長していく、三浦しをんの長編小説。

 

高校を卒業した主人公の少年は、将来のあてもなくフラフラと生きていこうと思っていた矢先に、両親の計らいによって三重県の山奥にある「神去村」へと送り出される。

 

しかし、森の奥にひっそりと佇む小さなその村は携帯の電波も通じない上に、都会の常識が何ひとつ通用しない別世界が広がっていた。

 

そんな場所に置き去りにされた主人公に課されたのが、木々を伐採して木材を生産しながら山を管理する林業と言う仕事。

 

「斜陽産業」と囁かれることも多い林業だが、この物語に登場する「なあなあ」が口癖の個性豊かな村人たちからは、そんな悲壮な空気感は微塵も感じない。

 

むしろ、村人たちの破天荒な仕事ぶりに翻弄されたり、村に残る独特な風習に振り回されたりする主人公の方が気の毒なぐらいだった。

 

ただ、主人公の目線に立ってみると、森での日常はどこまでも新鮮な経験に溢れていて、四季とともに移り変わっていく山の姿は多彩な一面を魅せてくれる。

 

そして、この作品を読んで最も印象的だったのは、自然と共生するということが、決して自然をそのままの形で放置するわけではないということ。

 

木を育てるために枝打ちをしたり、木の成長を妨げる隣の木を倒したり、人の手によって自然のサイクルを回すことで山の景観は保たれていて、なおかつ木々の美しさや儚さが色濃く残り続ける。

 

自然をありのままに受け入れるのではなく、ともに生きていくために森林に手を加える「神去村」の人々のような存在は、きっとこれからの社会においてもなくてはならない存在だと感じた。

 

では次回。