カタコトニツイテ

頭のカタスミにあるコトバについて。ゆる~い本の感想と紹介をしています。

「犯罪者/太田愛」の感想と紹介

295.犯罪者/太田愛

 

「あと十日。十日、生き延びれば助かる。生き延びてくれ。君が最後の一人なんだ」(上、p.42)

 

駅前の広場で起きた通り魔事件を起点にして、政界と大手企業の思惑や隠された真実が交錯するなか、理不尽に屈することなく立ち向かう3人の男たちは、社会の闇に葬り去られようとしている真相を明らかにする、太田愛のクライムサスペンス。

 

ときに時計の針を戻しながら、膨大な数の登場人物の視点を介して描かれるのは、白昼堂々と行われた不条理な事件の真実。

 

駅前の広場で5人が刺された通り魔殺人事件の唯一の生き残りとなった青年・修司は、運ばれた病院で謎の人物から「10日間生き延びれば助かる」と告げられる。

 

忠告はすぐに現実のものとなり、暗殺者から命を狙われることになった彼は、はみ出し者の刑事・相馬元テレビマンのフリーライター・鑓水と行動をともにして、事件の裏に隠された恐るべき真実を暴くために奔走する。

 

途轍もない臨場感の中で、悪辣な陰謀に迫る力強い意思が綱渡りの駆け引きに挑むたび、没入しすぎて心臓が早鐘を打っていた。

 

犠牲になっている人々を透明化し、より広い範囲を跡形もなく踏み潰すような意思決定が難なく罷りとおるこの世界で、身の危険を顧みずに真相を白日の下に晒そうと試みる者たちの頑丈さが、物語を読み進める手を支えてくれていた気がする。

 

行き場のない静かな怒りを滲ませながら、努めて平静に理不尽への抵抗を撮り続けたドラマ版もすばらしい出来栄え。どちらから入ってもおもしろいのでぜひ。

 

では次回。

「ラウリ・クースクを探して/宮内悠介」の感想と紹介

294.ラウリ・クースクを探して/宮内悠介

 

「こうして懐かしんで語ることができるのは、時を経たあとだからなのかも」(p.57)

 

コンピュータ・プログラミングの世界に夢中になったエストニアの少年は、歴史の渦に翻弄されながらも、自身が生きていく道を見つけて歩いていく人生を回想する、宮内悠介の長編小説。

 

1977年のエストニアに生まれたラウリ・クースクは、幼いながら父親が手に入れたコンピュータに夢中になり、魔法のようなプログラミングの世界にのめり込んでいく。

 

やがて、ロシア系の中学校に進学したラウリは、同じようにプログラミングの世界に魅入られたイヴァンと出会う。

 

初めて心から通じ合える友人と幸福な時間を過ごすラウリだったが、エストニアに広がりつつあった独立機運の高まりと、1991年に起きたソビエト連邦の崩壊によって、彼の人生は望まぬ展開を余儀なくされる。

 

生まれ持つ国籍や人種はナショナリズムの高揚にともなって、見知らぬ誰かを結束させるための旗印となり、身近に生活していた隣人たちを隔てる間仕切りへと使い回されてしまう。

 

あの時代のどこかで営まれるはずだった少年の日々は、決して遠い国の物語ではない。共通の言語で言葉を交わし、夢中になった世界を仕事にしたいと思う。ただ、それだけのかけがえのない日々。

 

光当たる道を歩けなかった彼の人生は、歴史に刻まれることはなかった。それでも、激動の時代をまっすぐしたたかに生きた軌跡はたしかに残っている。

 

では次回。

「一次元の挿し木/松下龍之介」の感想と紹介

293.一次元の挿し木/松下龍之介

 

「孤独な人間はみんなユニークです」(p.143)

 

失踪した妹の行方と古人骨のDNAの真相を追いかける主人公は、予想もつかない大きな企みに巻き込まれながら、人智を超えた謎に挑んでいく松下龍之介の長編ミステリ。

 

ヒマラヤ山中で発掘された200年前の人骨のDNAが、4年前に失踪した妹のDNAと一致する。大学院で遺伝子人類学を学ぶ主人公の目の前に転がり込んできた不可解な謎は、誰も想像しえない結末へと誘う

 

壮大かつ魅力的な謎が物語を牽引しつつ、キャラクター性の強い登場人物たちが切実なまでの執念で真相に迫っていく。

 

現代の遺伝子人類学ではここまで精密に鑑定できるのかと驚かされつつ、生命の神秘と禁忌に好奇心が触れてしまう科学者の心理は、技術の進歩と科学の発展があってこそ掻き乱される危うさなのかもしれない。

 

今夜から本作を原作にしたドラマも放送がスタート。作中では「息を呑むほどの美青年」と形容されている主人公を演じる山田涼介さんに注目したい。

 

では次回。

「イン・ザ・メガチャーチ/朝井リョウ」の感想と紹介

292.イン・ザ・メガチャーチ/朝井リョウ

 

誰かが作った後付けの価値観の中で、ずっとスタンプラリーをしているだけ。そして、そのスタンプを溜めるほどに得られるご褒美は、作られた価値観をさらに深く信じ込むための薬物としても働く。(p.243)

 

ファンダム経済の中に取り込まれていく三者三様の人々の視点から、現代社会の連帯と人の心を動かす物語が生み出す功罪を炙り出す、朝井リョウ2026年本屋大賞受賞作

 

レコード会社勤務の中年男性、留学生との交流サークルに所属する女子大生、推し活を生きる糧にして生活する契約社員の女性。

 

まったく異なる距離感で「アイドル」と接してきた3人が、それぞれの立ち位置と入れ込み具合を急激に変化させながら、心の奥底に秘めた希望や欲望に忠実な物語に、意図せずとも飲み込まれていく。

 

登場人物の視点が変わるたびに、冷笑と熱狂を行き来しながら嫌でも感じる温度差。

 

ひとひらの花びらまで作り込まれた造花のようなエピソードが差し込まれる前後の変化を目の当たりにするたびに、上から目線でカテゴライズされたまま、手のひらで踊らせれる人々の姿が脳裏に浮かんだ。

 

物語がもつ魔力と仕組みが社会と経済のあらゆる場所で応用される現代において、緻密に計算された仕掛けを俯瞰する人すらも、いつのまにか舞台に上げられている感覚がある。

 

人の心を操るなんて簡単だと思われているのも癪だけど、朝井リョウさんなら人の心を意のままに掌握するなんて造作もないことなのかもしれない。

 

では次回。

「幻告/五十嵐律人」の感想と紹介

291.幻告/五十嵐律人

 

「そうだね。予断や先入観を排除するのは、裁判の基本だ。事実を積み重ねて結論を出す。その仕組みは裁判もタイムスリップも変わらない」(p.271)

 

過去にタイムリープした裁判所書記官の主人公は、父親が有罪判決を受けた裁判の真実と向き合い、目まぐるしく変化する過去と未来を書き換えていく、五十嵐律人のリーガル・ミステリー。

 

裁判所書記官として働く主人公はある日、法廷で意識を失ってしまう。彼が目を覚ましたその日、地裁で行われていたのは父親が有罪判決を受けた裁判だった。

 

5年前にタイムリープしたことを受け入れた主人公は、目の前で行われている裁判で罪に問われようとしている父親が冤罪である可能性に気づく。しかし、真相を探るためにタイムリープを繰り返すうちに、過去と未来は最悪の道筋を辿ることになる。

 

冤罪事件の真相追及か、未来の安寧な生活か。証人尋問のリアリティ心証が上塗られていく過程など、現役弁護士作家ならではの細かい着眼点が光る。

 

時間の経過は不可逆だからこそ、司法の判決はひとりの人間の人生を大きく変えてしまう重みを持つ。感情や先入観を心の内側から排除して、事実のみに焦点を当てる。あらためて、人を裁くことがどれだけの責任を負う行為なのかを思い知らされる。

 

タイムスリップ×法廷劇という複雑怪奇な組み合わせに苦戦しつつも、法にかかわる人々の真摯な思いに心を揺さぶられた。

 

では次回。

「ヴィクトリアン・ホテル/下村敦史」の感想と紹介

290.ヴィクトリアン・ホテル/下村敦史

 

「人間の見方ってね、本人は気づいていないだろうけど、自分の偏見をさらけ出しているのと同じなんだよ」(p.138)

 

伝統ある超高級ホテルに集まった老若男女が出会う一夜限りの群像劇によって、運命の歯車が軋みはじめ、思わぬ真実が明らかになる、下村敦史の長編ミステリ。

 

100年の歴史に幕を下ろす「ヴィクトリアン・ホテル」には、さまざまな人々が胸に抱えた思い出を持ち寄って訪れる。

 

特別な一夜を過ごす女優、自暴自棄になったスリ、晴れて文学賞を受賞した新人作家、人生の最期を全うしようとする老夫婦。

 

伝統の佇まいを残すクラシカルなホテルのなかで、まったく接点のない宿客たちはときにすれ違い、ときに言葉を交わしながら、今まで歩んできた人生に思いを巡らせる。

 

メッセージ性の強いセリフが多いなか、善意と悪意の解釈が隔たるところに現代の人間模様が垣間見える。作り物の綺麗な世界と目の前に広がる現実とのギャップは、日に日に大きくなっているのかもしれない。

 

なんとなく仕掛けには気づきつつ、謎が解明する瞬間は爽快だった。

 

では次回。

「プロジェクト・ヘイル・メアリー/アンディ・ウィアー」の感想と紹介

289.プロジェクト・ヘイル・メアリー/アンディ・ウィアー

 

「人間はどれくらい長く生きる、質問?」(下、p.31)

 

太陽エネルギーを食らう謎の生命体の出現によって、滅亡の危機に瀕する地球を救うために、人類の総力を結集したプロジェクトが発足する、アンディ・ウィアーの長編SF。

 

ずっと積み続けてきた小説だったけれど、映画の公開に際してようやく読めた。
見る見るうちに時間が溶けていく、あっという間の読書体験だった。

 

謎の空間で目覚めた中学校の化学教師・ライランド・グレースは、今、自身がいる場所が宇宙船の船内であり、ひとり孤独に宇宙を旅している状況に戸惑いを隠せない。

 

なぜここにいるのか、どのような目的でやってきたのか。何もわからないまま、宇宙を彷徨い続ける男は、やがて自らが託された重大なミッションの存在を思い出していく。

 

そして、広大な宇宙で出会った“ひとり”と“ひとり”は、興味と好奇心と切実な思いを胸に抱き、目の前にいる相手と意思疎通を図っていく。

 

科学は宇宙の共通言語であり、実験と検証の積み重ねこそ未知に対抗する唯一の術なのだと、コミカルなやりとりを目の当たりにしながらしみじみと実感する。

 

想像もしえない絶望的な状況で、かけがえのない時間を過ごした彼らの物語を、ぜひ追体験してみてほしい。

 

では次回。