カタコトニツイテ

頭のカタスミにあるコトバについて。ゆる~い本の感想と紹介をしています。

「イン・ザ・メガチャーチ/朝井リョウ」の感想と紹介

292.イン・ザ・メガチャーチ/朝井リョウ

 

誰かが作った後付けの価値観の中で、ずっとスタンプラリーをしているだけ。そして、そのスタンプを溜めるほどに得られるご褒美は、作られた価値観をさらに深く信じ込むための薬物としても働く。(p.243)

 

ファンダム経済の中に取り込まれていく三者三様の人々の視点から、現代社会の連帯と人の心を動かす物語が生み出す功罪を炙り出す、朝井リョウ2026年本屋大賞受賞作

 

レコード会社勤務の中年男性、留学生との交流サークルに所属する女子大生、推し活を生きる糧にして生活する契約社員の女性。

 

まったく異なる距離感で「アイドル」と接してきた3人が、それぞれの立ち位置と入れ込み具合を急激に変化させながら、心の奥底に秘めた希望や欲望に忠実な物語に、意図せずとも飲み込まれていく。

 

登場人物の視点が変わるたびに、冷笑と熱狂を行き来しながら嫌でも感じる温度差。

 

ひとひらの花びらまで作り込まれた造花のようなエピソードが差し込まれる前後の変化を目の当たりにするたびに、上から目線でカテゴライズされたまま、手のひらで踊らせれる人々の姿が脳裏に浮かんだ。

 

物語がもつ魔力と仕組みが社会と経済のあらゆる場所で応用される現代において、緻密に計算された仕掛けを俯瞰する人すらも、いつのまにか舞台に上げられている感覚がある。

 

人の心を操るなんて簡単だと思われているのも癪だけど、朝井リョウさんなら人の心を意のままに掌握するなんて造作もないことなのかもしれない。

 

では次回。

「幻告/五十嵐律人」の感想と紹介

291.幻告/五十嵐律人

 

「そうだね。予断や先入観を排除するのは、裁判の基本だ。事実を積み重ねて結論を出す。その仕組みは裁判もタイムスリップも変わらない」(p.271)

 

過去にタイムリープした裁判所書記官の主人公は、父親が有罪判決を受けた裁判の真実と向き合い、目まぐるしく変化する過去と未来を書き換えていく、五十嵐律人のリーガル・ミステリー。

 

裁判所書記官として働く主人公はある日、法廷で意識を失ってしまう。彼が目を覚ましたその日、地裁で行われていたのは父親が有罪判決を受けた裁判だった。

 

5年前にタイムリープしたことを受け入れた主人公は、目の前で行われている裁判で罪に問われようとしている父親が冤罪である可能性に気づく。しかし、真相を探るためにタイムリープを繰り返すうちに、過去と未来は最悪の道筋を辿ることになる。

 

冤罪事件の真相追及か、未来の安寧な生活か。証人尋問のリアリティ心証が上塗られていく過程など、現役弁護士作家ならではの細かい着眼点が光る。

 

時間の経過は不可逆だからこそ、司法の判決はひとりの人間の人生を大きく変えてしまう重みを持つ。感情や先入観を心の内側から排除して、事実のみに焦点を当てる。あらためて、人を裁くことがどれだけの責任を負う行為なのかを思い知らされる。

 

タイムスリップ×法廷劇という複雑怪奇な組み合わせに苦戦しつつも、法にかかわる人々の真摯な思いに心を揺さぶられた。

 

では次回。

「ヴィクトリアン・ホテル/下村敦史」の感想と紹介

290.ヴィクトリアン・ホテル/下村敦史

 

「人間の見方ってね、本人は気づいていないだろうけど、自分の偏見をさらけ出しているのと同じなんだよ」(p.138)

 

伝統ある超高級ホテルに集まった老若男女が出会う一夜限りの群像劇によって、運命の歯車が軋みはじめ、思わぬ真実が明らかになる、下村敦史の長編ミステリ。

 

100年の歴史に幕を下ろす「ヴィクトリアン・ホテル」には、さまざまな人々が胸に抱えた思い出を持ち寄って訪れる。

 

特別な一夜を過ごす女優、自暴自棄になったスリ、晴れて文学賞を受賞した新人作家、人生の最期を全うしようとする老夫婦。

 

伝統の佇まいを残すクラシカルなホテルのなかで、まったく接点のない宿客たちはときにすれ違い、ときに言葉を交わしながら、今まで歩んできた人生に思いを巡らせる。

 

メッセージ性の強いセリフが多いなか、善意と悪意の解釈が隔たるところに現代の人間模様が垣間見える。作り物の綺麗な世界と目の前に広がる現実とのギャップは、日に日に大きくなっているのかもしれない。

 

なんとなく仕掛けには気づきつつ、謎が解明する瞬間は爽快だった。

 

では次回。

「プロジェクト・ヘイル・メアリー/アンディ・ウィアー」の感想と紹介

289.プロジェクト・ヘイル・メアリー/アンディ・ウィアー

 

「人間はどれくらい長く生きる、質問?」(下、p.31)

 

太陽エネルギーを食らう謎の生命体の出現によって、滅亡の危機に瀕する地球を救うために、人類の総力を結集したプロジェクトが発足する、アンディ・ウィアーの長編SF。

 

ずっと積み続けてきた小説だったけれど、映画の公開に際してようやく読めた。
見る見るうちに時間が溶けていく、あっという間の読書体験だった。

 

謎の空間で目覚めた中学校の化学教師・ライランド・グレースは、今、自身がいる場所が宇宙船の船内であり、ひとり孤独に宇宙を旅している状況に戸惑いを隠せない。

 

なぜここにいるのか、どのような目的でやってきたのか。何もわからないまま、宇宙を彷徨い続ける男は、やがて自らが託された重大なミッションの存在を思い出していく。

 

そして、広大な宇宙で出会った“ひとり”と“ひとり”は、興味と好奇心と切実な思いを胸に抱き、目の前にいる相手と意思疎通を図っていく。

 

科学は宇宙の共通言語であり、実験と検証の積み重ねこそ未知に対抗する唯一の術なのだと、コミカルなやりとりを目の当たりにしながらしみじみと実感する。

 

想像もしえない絶望的な状況で、かけがえのない時間を過ごした彼らの物語を、ぜひ追体験してみてほしい。

 

では次回。

「皇后の碧/阿部智里」の感想と紹介

288.皇后の碧/阿部智里

 

「わたくしは花など、美しいものを愛しております。でも、一見して不気味なもの、無骨なもの、恐ろしげなものにも、美しさは宿ります」(p.59)

 

皇后の碧

皇后の碧

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火竜の襲来によって家族を失った少女は、風の精霊を統べる皇帝から誘われた後宮で、隠されていた大きな秘密を目の当たりにする、阿部智里の長編ファンタジー。

 

土の精霊である少女・ナオミは火竜に襲われて家族を失った最中、鳥の一族の王である・孔雀王ノアによって拾われ、東方の城で女官見習いとして育てられる。

 

5年の月日が流れ、妻との契約を解消した孔雀王の棲み処である「鳥籠の宮」には、新たな妻の選定を行うために、風の精霊を統べる蜻蛉帝シリウスが到来する。

 

しかし、蜻蛉帝をもてなす催しが行われるなか、彼から寵姫の座を狙ってみないかと誘いを受けたのは、女官見習いにすぎないナオミだった。

 

突然、妾候補となった彼女は当惑を隠せないものの、己が選ばれた理由を解き明かすために、育った場所を離れて、蜻蛉帝の住む「巣の宮」へと向かう。

 

愛妾である火の精霊や水の精霊との初対面や、年老いた宦官長とのまじないの修練を重ねるなかで、戯れと謀略が人知れず蠢く後宮で目にした秘密は、美しさと恐ろしさを備えた精霊の王を見つめる目を惑わせる。

 

見とれてしまうほど幻想的な世界のなかで、無邪気な冷酷さをこれでもかと映し出す物語に魅せられた。これぞファンタジーミステリーの醍醐味。

 

では次回。

「小説/野崎まど」の感想と紹介

287.小説/野崎まど

 

一つ一つの言葉の意味に隠れて、文脈の裏側に未来の欠片が織り込まれていたのかもしれない。それを先に知れたのは多分幸福なことなのだろう(p.111)

 

小説

小説

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小説に魅せられた2人の少年が歩んでいく人生とともに、なぜ小説を読むのかという根源的な問いかけを紐解いていく、野崎まどの長編小説。

 

5歳のときに『走れメロス』を読んで、父親を喜ばせる方法が小説を読むことだと悟った内海集司は、その後の人生をすべて小説に捧げる。

 

そして、彼が12歳のときに出会った生涯の友となる外崎真との出会いと、2人がとあるきっかけで入り浸るようになった小説家の髭先生が住むモジャ屋敷の日々が、彼らの生きる日々を豊かに押し広げていく。

 

「小説とは何か」という根源的な問いかけを含む物語を、小説に魅せられた2人の少年の自覚と苦悩とともに紐解いていく。彼らを言祝ぐのも、昂ぶらせるのも、慰めるのも小説だった。

 

自分の人生を凝縮して、小説に捧げる姿は理想であり、憧れであり、同時に呪縛でもあった。こんな人生を歩めたらいいのにと抱く希望と、こんな人生を歩めるはずがないという諦めは紙一重にすぎない。

 

物語の途中までどういう風に着地するのか未知数だったけれど、明快に導いた答えの明瞭さと、最後の一文に至るまでの筆致に小説家の矜恃を感じた。終盤で一気に物語が収束していくのが野崎まどらしい。

 

では次回。

「架空の犬と嘘をつく猫/寺地はるな」の感想と紹介

286.架空の犬と嘘をつく猫/寺地はるな

 

あなたのその嘘つきなところを優しさと呼んで愛してくれる人のところに生まれて、わたしの知らないところで幸せになってくれたら、どんなに良かったでしょう。(p161)

 

「嘘」をつくことで何かを保っていた家族が、30年にわたる月日をかけて少しずつ解かれていく過程が静かに描かれる、寺地はるなさんの長編小説。

 

1988年から始まる物語の冒頭、羽猫家の長男として生まれた山吹の周りには、両親に反発する姉と、現実には存在しない何かを拠り所にして生きる大人たちがいた。

 

とある出来事が原因で空想の世界に生きる母親。彼女と向き合うことを恐れ、愛人の元に入り浸る父親。思いついたアイデアをすぐに実行しようとする祖父に、商店街の店でさまざまな雑貨を売る祖母。

 

そんな変わった大人たちに囲まれて育った山吹もまた、家族を繋ぎ止めるために、見えない何かを守るために「嘘」をつく。

 

しかし、彼の優しさを犠牲にして成り立つ関係性は、山吹の初恋相手でひとつ上のかな子アルバイト先の同僚で同い年の頼との出会いを経て、少しずつなだらかに変化していく。

 

寺地はるなさんが描く家族は、形があるようでなくて、繋がりがないようであって。互いの嘘によって成り立っていた世界が、経年とともに剥がれていく。剥がれたからこそ滲み出した弱さや優しさは、混ざり合うようにして家族を包んでいく。

 

中盤で登場する母親の手紙が忘れられない。思いは届いているのに、届いただけで辿りつかない瞬間が、これほどまでに苦しいなんて。

 

では次回。