カタコトニツイテ

頭のカタスミにあるコトバについて。ゆる~い本の感想と紹介をしています。

「透明な夜の香り/千早茜」の感想と紹介

220.透明な夜の香り/千早茜

 

「香りは脳の海馬に直接届いて、永遠に記憶されるから」(p.55)

 

古い洋館で家事手伝いをすることになった主人公は、その場所で客の望む香りを自在に作りだす調香師として働く男性と出会い、魅惑の香りによって閉じこめていた記憶を思い起こしていく、千早茜の長編小説。

 

書店員を辞めて新しく働ける場所を探していた主人公の女性は、家事手伝いのアルバイトを始めるために、森に隠れた古い洋館を訪れる。

 

そこには、どんな香りでも意のままに作り出すことのできる、調香師と呼ばれる仕事を生業とする、灰色がかった目の男性が住んでいた。

 

庭で育てた香料植物や薬用植物を使って、いとも簡単に魅惑の香りを操る彼のもとには、形のない幻想とも呼べる代物を追い求める人々から、風変わりな依頼が続々と届けられる。

 

調香師としての仕事を何度も目のあたりにして、彼が抱える深い孤独に触れた主人公は、やがて心の奥底に閉じこめていたある記憶について思いをめぐらせる。

 

現実に存在する香りは記憶と対になって人々の心に棲みついて、良くも悪くも忘れることのできない幻想を植えつけていく。

 

透明な夜の香りを想像してみるけど、おぼろげで掴めないままだった。
調香師ならば、作りだすことができるのだろうか。

 

では次回。

「リボルバー/原田マハ」の感想と紹介

219.リボルバー/原田マハ

 

「絵を描いたその場所に、その絵は残らない。生産する場所と消費する場所は一致しないのは世の常です」(p.96)

 

パリのオークションに持ちこまれた、ゴッホの自殺に使われたとされるリボルバーが引き金となり、稀代の芸術家であるゴッホゴーギャンの知られざる真実を紐解いていく、原田マハ長編小説

 

主人公は小さなパリのオークション会社に勤務する女性。
そんな彼女のもとに、謎の女性からとある一品が届けられる。

 

それは、かのフィンセント・ファン・ゴッホの自殺に使われたとされる、錆びついた一丁のリボルバーだった。

 

フランス絵画史の研究者でもある主人公は、いわくつきのリボルバー本当にゴッホを撃ち抜いたものなのかを調べるため、ゴッホゆかりの地へと赴く。

 

そして、彼女たちは、ゴッホゴーギャンのただならぬ関係について、歴史には残らなかった真実に迫っていく。

 

美術史に残る謎の一つであるゴッホの死に対して、決して憶測ではない丁寧な歴史見分と、豊かな色彩で描かれる登場人物の回想によって、歴史に名を刻む世紀の画家たちが実際に描いたストーリーだと信じさせられた。

 

ゴッホゴーギャン、お互いを意識していたからこそ、アートに対する才と情熱が彼らを引きつけ、結果的にぶつかりあい、決裂してしまう。そんな彼らの人生を通したライバル関係だけでも、一つの物語になるほどの重厚感。

 

それでも歴史の空白を埋める回想は、まさしく真実を辿るミステリーだった。
原田マハさんの物語には、美しく心を動かす一文で締められるから好き。

 

では次回

「レーエンデ国物語 月と太陽/多崎礼」の感想と紹介

218.レーエンデ国物語 月と太陽/多崎礼

 

ならばもう忘れてしまおう。
両親のことも、恐ろしい夜のことも、忘れてしまおう。(p.50)

 

屋敷から逃げだした名家の少年は、辿りついた村で出会った少女とともに、呪われた土地であるレーエンデの運命を変える戦いに身を投じていく、多崎礼ファンタジー小説

 

行く末を案じていた『レーエンデ国物語』の続編となる物語。
しかし、そんな思いとは裏腹に容赦なく心をえぐる展開が続く。

 

何者かに襲撃された屋敷から命からがら逃げだした主人公の少年・ルチアーノは、やがてレーエンデ東部に位置するダール村に行きつく。

 

炭鉱で栄えるその村で、彼は生まれつきの怪力の持ち主であるテッサという少女に出会い、これまでとは一変した、穏やかな生活を送るようになる。

 

ルチアーノは自らの身分を捨てて、ダール村で新たな人生を歩み始めるが、やがて村にも戦争の足音が近づき、戦場へと彼らは駆り出されていく。

 

あまりにも過酷で胸が張り裂けそうになる出来事の数々に、この世界に存在していないはずの自分でさえ、怒りと悔しさ、なすすべない無力感におそわれる。

 

しかし、レーエンデの夜明けが訪れる日まで、革命の物語は終わらない。
その道のりに何が起ころうとも、その最後を見届けたいという気持ちは変わらない。

 

では次回。

「不可逆少年/五十嵐律人」の感想と紹介

217.不可逆少年/五十嵐律人

 

「やり直せるから、少年なんだよ」(p.23)

 

幼い少女が起こした重大な事件が発端となり、登場人物たちが抱えてきた過去の傷が新たな事件を巻き起こしていく、五十嵐律人長編ミステリ

 

狐の面をした少女が監禁した大人たちを次々と殺害する様子を生放送で配信するという、前代未聞の事件から物語は始まる。

 

そして、何よりも世間を騒がせたのは、犯人が刑事責任を問われない13歳の少女であることだった。

 

家庭裁判所調査官の主人公は、とあるきっかけから、やがて「フォックス事件」と呼ばれるその事件に関わることになり、被害者遺族たちが引きおこす負の連鎖に巻き込まれていく。

 

少年法の理念を支える「可塑性」という言葉。
この物語では、そんな「可塑性」に真っ向から抗う存在が描かれている。

 

不可逆少年と名づけられた少女を理解しようと思えば思うほど、現実で起きている出来事との乖離に苦しむ主人公の姿を見て、自らも信念を問いただされている気にさせられた。

 

不幸に慣れすぎた少年少女たちは、誰からも声をかけられることなく次第に道を逸れ、踏みはずしたことにも気づかないまま、取り返しのつかない場所にまで歩みを進めてしまう。

 

そんな彼らの行く末を、手元の灯りでぼんやりとでも照らすことで、拓ける未来があるのだとしたら、その可能性を少しでも信じたくなった。

 

では次回。

「彼らは世界にはなればなれに立っている/太田愛」の感想と紹介

215.彼らは世界にはなればなれに立っている

 

「おまえの行為によって世界が変わることはない。なにかすることで、おまえ自身が変わることはあってもな」(p.122)

 

人々が文明を創り拡げた「始まりの町」を舞台に、4人の語り手が消えた人間の行方と町が抱える秘密を徐々に明らかにしていく、太田愛の長編小説。

 

現実ともファンタジーとも言いきれない、古い寓話のような、未来のディストピアのような、そんな世界観の物語がたまらなく好きだった。

 

過去には文明の出発地点として栄えるも、長い年月とともに少しずつ廃れていき、かつての面影を失いつつある「始まりの町」には、二種類の人間が存在していた。

 

誇りある「始まりの町」に生まれた塔の地の民。
そして、他の場所から移り住んできた「羽虫」と呼ばれる者たち。

 

明確に区別された人々が存在する歪の構造が生まれた町で、確かな意思を持つ4人の登場人物は、自身だけが知る真実を順番に語り継いで、町がひた隠しにしていた秘密を露わにしていく。

 

冒頭で写真に写されていた人物たち。
彼らは同じ町で生きながらも、はなればなれに立っていた。

 

町に暗い影を落とす存在に気づいたとしても、救いの手を差し伸べたいと心の底から願ったとしても、誰かと深く寄り添い合うこともなく、それぞれの場所で立ちつくすしかできなかった。

 

淀んだ空気に慣れていくことで、ゆるやかに思考は動きを止め、ひっそりと誰にも気づかないうちに、内側から町を蝕んでいく。

 

そんな人々になすすべなく虐げられる者たちも、それに抗う者たちも、きっと現実の世界には等しく存在していて、同じ町で当たり前のように息をしている。

 

それがどれだけ残酷なことなのか、知ろうともせずに。

 

では次回。

「スモールワールズ/一穂ミチ」の感想と紹介

216.スモールワールズ/一穂ミチ

 

退屈な教科書の文章みたいに単純な情報として丸飲みし、解釈も深読みも加えないでほしい。自分の人生を、物語みたいに味わわれたくない。(p.302)

 

様々な人間関係の合間で揺れる人々が生活する小さな世界で、もどかしさを抱えながらも懸命に生きるものたちの7つの物語が綴られる、一穂ミチ短編小説

 

夫婦、親子、姉弟、先輩と後輩。並々ならぬ繋がりを持っている彼らが胸に抱く想いは、誰かに理解されたいわけではないのに、心のうちに閉まっておくには耐えがたい歪なものだった。

 

7つの物語で描かれる「小さな世界」は、赤の他人からしたらちっぽけで、とりとめのないことなのかもしれない

 

でも、小さな世界だからこそ、自分ごとでいられる。
手の届く場所だから、手を伸ばしていられる。
彼らが発する言葉が生活圏で育んだ心を掠めていくたびに、そう思わされた。

 

また、一穂ミチさんが綴る文章を読んでいると、矢継ぎ早に迫ってくる言葉に飲み込まれそうになる瞬間がある。息をとめていることに気づかないほど滑らかに。

 

それはきっと、どこかで感じたことのある感情を見透かされたような、誰にも打ち明けることのできなかった言葉を見つけてくれたような、半端でどっちつかずな想いを投げかえしてくれるからだろう。

 

自分自身も、この「小さな世界」の中にいる。
一穂ミチさんが覗いてくれるのを待ち侘びながら。

 

では次回。

「レーエンデ国物語/多崎礼」の感想と紹介

214.レーエンデ国物語/多崎礼

 

革命の話をしよう。
歴史のうねりの中に生まれ、信念のために戦った者達の
夢を描き、未来を信じて死んでいった者達の
革命の話をしよう。(p.10)

 

呪われた土地と呼ばれるレーエンデを舞台に、国を飛びだした少女が、魅惑の地で出会う様々な出来事を経て、自ら選択した道に向かって歩み始める、多崎礼ファンタジー小説
 
ここまで世界観に埋没しながら、ひと時も心休まることなく、最後まで登場人物たちとともに駆けぬけた物語はいつ以来だろうか。
 
主人公である貴族の娘ユリアは、父親であり、母国の騎士団長でもあるヘクトルに連れられて、銀の呪いが渦巻く土地「レーエンデ」へとたどり着く。
 
その場所でユリアが出会ったのは、彼女の運命を変えることになる琥珀色の瞳を持つ寡黙な射手・トリスタンだった。

彼もまた、ヘクトルがこの地にやってきた理由、そしてユリアとの邂逅によって、自身がこれから進んでいくべき道を見いだしていく。

 

また、何よりも魅力的だったのは、本当に物語の世界に迷いこんだのではないかと錯覚するほど、繊細に描かれるレーエンデの森の情景描写。

 

空高くそびえ立つ古代樹木の桐を根城にするウル族たちの生活を彩る森の食材、そして、様々な色の緑が散りばめられた木々と、その地でたおやかに育つ植物たち。

 

実際には存在しないはずの幻想が、ひとたび目を瞑ると目の前に現れる。

 

それほど『レーエンデ国物語』という作品には、読者を惹きつけて離さない、醸成された世界観があった。

 

さらに驚くべきことに、この一冊は、これから続く「レーエンデ」をめぐる壮大な物語のほんの序章にすぎない。続きを読むのが楽しみだ。

 

では次回。