カタコトニツイテ

頭のカタスミにあるコトバについて。ゆる~い本の感想と紹介をしています。

「少女七竈と七人の可哀想な大人/桜庭一樹」の感想と紹介

178.少女七竈と七人の可哀想な大人/桜庭一樹

 

「ほんのすこぅしだったら」
むくむくがつぶやいた。誰にともなく。
「なんでも許せる気がしてしまう」(p.70)

 

旭川の街で生まれ育った少女は、美しく生まれてしまったがゆえに大人たちに振り回される人生の中で、自らの生きる道を見つけようとする、桜庭一樹の青春小説。

 

桜庭さんが女性作家だと、この本で初めて知った。「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」が代表的だけれど、タイトルにもどことなく惹かれる魅力が詰まっている気がする。

 

雪が降りしきる街、旭川に生まれた少女・七竈は絶世の美女として持て囃されることにうんざりとしながら、鉄道模型幼馴染の雪風だけを友として日々を過ごしていた。

 

しかし、そんな七竈を周りの大人たちは放っておかず、あの手この手で彼女の日常に入り込んでは、勝手な理想を押し付けてどこかへ行ってしまう。

 

悪い魔法に掛けられたかのように、狭い世界に押しつぶされそうになる登場人物たちは、優しい普遍な世界の存在を信じようとする。差し迫る現実を受け入れられずに。

 

それでも、しんしんと雪が降る街で、一際赤く、健気に揺れる七竈の実のように、何者にもなびかず、凛として現実と向き合う少女は、対比される大人たちよりずっと強く生きていた。

 

あと、小説の中で「柔らかい行き止まり」という言葉があったけれど、抗う気力が抜け落ちていくような、言いようのない無力感を抱かせるような例えで、とても印象的な表現だった。

 

この物語を読んでいると、時とともに無くなっていく何かが怖くなる。
もし「柔らかい行き止まり」が目の前に現れたなら、人は何を思うんだろうか。
少し、気になった。

 

では次回。

「ジヴェルニーの食卓/原田マハ」の感想と紹介

177.ジヴェルニーの食卓/原田マハ

 

先生はひと目ぼれをなさるんだそうです。窓辺の風景に。そこに佇む女性に。テーブルの上に置かれたオレンジに。花瓶から重たく頭を下げるあじさいに。(p.36)

 

近代美術の礎を築き上げた4人の芸術家の、紆余曲折した人生の中に存在したほんのひと時を鮮やかに描いた、原田マハ短編小説。

 

ジヴェルニーで色とりどりの花々が咲き乱れる庭に囲まれながら、青空の下で絵を描き続けたクロード・モネの生涯を、モネを支えた義理の娘であるブランシェの視点から描いた表題作を始め、4つの物語ではそれぞれの芸術家たちが魅せる素顔を垣間見ることができる。

 

アンリ・マティスと過ごした召使いの女性の幸せなひと時。
エドガー・ドガが求めた芸術を目の当たりにした女性画家の想い。
若きポール・セザンヌを支えたタンギー爺さんの半生。

 

彼らが歴史の中で過ごした日々。それは、読者でもなく、著者でもなく、芸術家たちのそばで見守っていた女性たちの温かな眼差しから、彼らが確かに生きたであろう姿が映し出される。

 

また、どの物語でも、芸術家たちが歩んできた軌跡が、色鮮やかな花々時代を象徴する絵画、そして彼らが過ごしたフランスの美しい街並みに彩られて、丁寧に綴られていた。

 

この物語は、歴史の一部となった偉人たちの記録でありながら、そういった歴史には刻まれていない、その時代を生きた人々の記憶を辿った先にある、芸術家たちのありふれた生活であったり、飾らない想いであったりするような気がする。

 

芸術に詳しいわけではないけれど、彼らが見てきた風景や景色、世界を閉じ込めた絵を自身の目で見てみたい、そう自然と思わせられるような作品だった。

 

では次回。

「本日は大安なり/辻村深月」の感想と紹介

176.本日は大安なり/辻村深月

 

十一月二十二日、日曜日、大安。大安は、六輝の中で何事においても全て良く、成功しないことはないとされる。だけど、大安はただそれだけでは実現しない。それを可能にするのは私たちだ。(p.222)

 

大安の日に結婚式を挙げる4組のカップが集うホテルで、ウェディングプランナーである主人公は式を成功へと導くために奮闘する、辻村深月の長編小説。

 

何をするにも縁起が良いと伝えられている大安の日。
ホテル・アールマティでは、4組のカップルを新郎新婦として華やかに祝福するべく、それぞれの結婚式の準備に追われていた。

 

しかし、その裏では美人双子姉妹が秘密の計画を企んでいたり新婦が身につけるはずのカチューシャが紛失したりあやしい男がホテル内を彷徨いていたりと、様々な思惑が式場内を飛び交っていた。

 

そんな事とはつゆ知らず、ウェディングプランナーである主人公の女性は、クレーマー気質の新婦にあれこれと文句をぶつけられながらも、結婚式が上手くいくようにとその行方を見守る。

 

結婚式が粛々と進んでいく中で、様々な人物たちの思惑はやがて、思わぬ事態が引き鉄となってあちこちに飛び火するかのように解き放たれることになる。

 

一日のみの煌びやかな式典。その日だけのため、多くの人々によって準備や労力がかけられることに、疑問を感じる人もいるのかもしれない。

 

ただ、そのたった一日を、人生の中で最も幸福で溢れる日にするために、ウェディングプランナーが、式場のスタッフが、そして新郎新婦たちが入念な打ち合わせを重ね、集ってくれる人々に幸せを分け与えられるような式をつくりあげる。

 

一人だけの力では実現しない、その場所に集った人々の思いが集結して初めて結婚式は完成するのだと、この小説を読んで改めて思い知らされた。

 

また、登場人物たちの人となり行動に至るまでの背景を、ストーリーに寄り添いながら丁寧に描いてくれるのが辻村さんの小説の好きなところ。

 

個人的に、大好きなお姉さんのために決意する
真空少年のひたむきな想いにグッとくる。

 

では次回。

「少女/湊かなえ」の感想と紹介

175.少女/湊かなえ

 

死は究極の罰ではない。ならば、死とは何だ。(p.118)

 

人が死ぬ瞬間を見たいと願った二人の少女は、互いにすれ違いながら、それぞれが思い描く「死」と言う存在に立ち向かっていく、湊かなえの長編小説。

 

親友の自殺を目撃したと語る転校生の告白を聞いた高校生の由紀敦子は、暗い過去の記憶を思い出しながら「死」について考えを巡らす。

 

その後、二人の少女は夏休みの間、死の瞬間を目撃するために「死」の匂いが色濃く漂う老人ホーム小児科病棟へ、互いには秘密にしながら訪れる。

 

そして、別々の場所で「死」に立ち会うため、躍起になっていた彼女たちは、やがて思いもよらぬ形で自らが隠していた気持ちを目の当たりにする。

 

この物語で描かれる少女たちの心情が透明で澄み切っているはずもなくて、奥底に満ちた妬みや嫉みさえも、物語が進むごとに洗いざらい暴かれていく。

 

しかし、そんな不純な心情から目を背けたくなるのと同じくらい、彼女たちが秘める純粋な気持ちを無視することはできなかった。悪意だけで人を塗り固めることはできないのだと、改めて思い知らされる。

 

また、湊さんの物語では有象無象のように思えた登場人物たちが、突然、輪郭をなして目の前に立ち塞がってくる。

 

そして、それは最後の最後で、そっと鳩尾に落とされた鉛玉のように、心の奥底に飲み込めない澱みを残しつつ、確実に物語の幕は落とされる。

 

イヤミスと呼ばれるジャンルが苦手だったけど、湊さんが作り上げた後をひく生々しい余韻は、おぞましくも残酷で、それでいて一抹の儚さを感じることができる。

 

では次回。

「神去なあなあ日常/三浦しをん」の感想と紹介

174.神去なあなあ日常/三浦しをん

 

「手入れもせんで放置するのが『自然』やない。うまくサイクルするよう手を貸して、いい状態の山を維持してこそ、『自然』が保たれるんや」(p.156)

 

都会で過ごしていた高校生の主人公は卒業と同時に、実家から遠く離れた山奥へと放り込まれ、森と共に生活する人々のもとで成長していく、三浦しをんの長編小説。

 

高校を卒業した主人公の少年は、将来のあてもなくフラフラと生きていこうと思っていた矢先に、両親の計らいによって三重県の山奥にある「神去村」へと送り出される。

 

しかし、森の奥にひっそりと佇む小さなその村は携帯の電波も通じない上に、都会の常識が何ひとつ通用しない別世界が広がっていた。

 

そんな場所に置き去りにされた主人公に課されたのが、木々を伐採して木材を生産しながら山を管理する林業と言う仕事。

 

「斜陽産業」と囁かれることも多い林業だが、この物語に登場する「なあなあ」が口癖の個性豊かな村人たちからは、そんな悲壮な空気感は微塵も感じない。

 

むしろ、村人たちの破天荒な仕事ぶりに翻弄されたり、村に残る独特な風習に振り回されたりする主人公の方が気の毒なぐらいだった。

 

ただ、主人公の目線に立ってみると、森での日常はどこまでも新鮮な経験に溢れていて、四季とともに移り変わっていく山の姿は多彩な一面を魅せてくれる。

 

そして、この作品を読んで最も印象的だったのは、自然と共生するということが、決して自然をそのままの形で放置するわけではないということ。

 

木を育てるために枝打ちをしたり、木の成長を妨げる隣の木を倒したり、人の手によって自然のサイクルを回すことで山の景観は保たれていて、なおかつ木々の美しさや儚さが色濃く残り続ける。

 

自然をありのままに受け入れるのではなく、ともに生きていくために森林に手を加える「神去村」の人々のような存在は、きっとこれからの社会においてもなくてはならない存在だと感じた。

 

では次回。

「嘘の木/フランシス・ハーディング」の感想と紹介

173.嘘の木/フランシス・ハーディング

 

嘘は暗い緑色の煙となって家のまわりをかすみのようにとり囲み、ささやきあい不思議がりおびえる人々の口からこぼれ落ちる。(p.238)

 

世間の目から遠ざかるために島への移住を余儀なくされた博物学者の一家のもとに、さらなる災いが降りかかる中、少女は父の汚名を払拭するため真実を追い求めていく、フランシス・ハーディングファンタジー小説

 

新進気鋭のイギリス人作家であるハーディングの長編ファンタジー
不思議な表紙絵とタイトルに惹かれて。

 

多くの名声と尊敬の眼差しを受けていた博物学サンダリーは、世紀の大発見が捏造であるという噂が流れたことにより、一家ともども遠い地への移住を強いられてしまう。

 

そんな一家を追い立てるかのように、暗い噂は移住した島にも影を落とし、一時は歓迎されたように見えた人々からも冷酷な眼差しを向けられるようになる。

 

さらに、不幸な出来事は彼らのもとに重ねて襲いかかり、挙げ句の果てに、博物学者であるサンダリーは島の中で不審死を遂げたところを発見される。

 

しかし、父の死を不可解だと感じていた娘のフェイスは、父がひた隠しにしていたある植物の存在を知り、真実を追い求めていくことを決意する。

 

この物語の根幹となる存在である「嘘の木」
人の嘘を養分に育ち、その実を食べた者に真実を見せる。

 

どこまでも現実的な思想が広がっている物語の中で
明らかな違和感として登場する不思議な植物。

 

たった一滴のインクが水を黒く染めるように、その植物がもたらす事実によって、幻想的な世界観が物語を覆い、人々の心に閉じ込められた嘘を露わにしていく。

 

作品の舞台である19世紀のイギリスでは「領域分離」と呼ばれる考え方が蔓延り、女性は男性が活躍する場への進出を妨げられ、女性らしさという型にはめ込められたまま家庭での役割を押し付けられた。

 

そんな時代へのアンチテーゼとして、14歳の少女は好奇心の赴くままに、男性社会や家のしがらみに歯向かうように立ち向かっていく。

 

あらぬ誹謗知りたくない事実に傷つきながらも
決して平坦ではない道を突き進むその姿を、最後まで応援せずにはいられなかった。

 

では次回。

「硝子の塔の殺人/知念実希人」の感想と紹介

172.硝子の塔の殺人/知念実希人

 

人間は最も大事にしているものを踏みにじられたとき、他人を殺すんだ(p.472)

 

硝子の塔がそびえ立つ館に集められたゲストたちは、館内で巻き起こる不可解な事件の数々に翻弄されていく、知念実希人長編ミステリ

 

本格ミステリの見本市かのごとく、国内国外問わず、数々の名作ミステリが物語の中では登場する。


海外の古典ミステリはアガサ・クリスティエラリー・クイーンぐらいしか読んだことがないのだけど、名前は知っているミステリや作者がたくさん登場していたので、最後までワクワクしながら読むことができた。

 

雪降る山奥に建てられた硝子の尖塔
奇妙な館には、多種多様な人物たちが集められた。

 

医者、小説家、編集者、料理人、霊能力者、刑事、そして自称名探偵。

そんなバラエティに富んだゲストたちが集まって何も起こらないはずもなく、館の主人である大富豪の老人が密室で謎の死を遂げたことを皮切りに、いくつもの不可解な死が連続して起こる。

 

世間からも隔絶された場所に閉じ込められたゲストたちは、次々と巻き起こる事件に戸惑いながらも、名探偵に導かれるように真実に迫っていく。

 

この作品では、奇妙な館で起こる連続殺人クローズドサークル読者への挑戦状など、古典的なミステリの手法を踏襲しながら、全く予想もつかない結末へと読者を誘っていた。

 

何より名探偵として登場する女性の語りは、著者の溢れ出るほどのミステリ愛が乗り移ったかのようで、物語の中では生き生きとしながら館内を縦横無尽に動き回っていた。

 

過去の名作ミステリへの愛とリスペクトがそこかしこから感じられる作品だったので、作中で登場する作品たちも興味があれば読んで見てほしい。もちろん自分も。

 

では次回。