カタコトニツイテ

頭のカタスミにあるコトバについて。ゆる~い本の感想と紹介をしています。

「母性/湊かなえ」の感想と紹介

185.母性/湊かなえ

 

そんなふうに、わたしの存在というのは、母の描く幸せという絵のほんの一部、小道具のようなものに過ぎなかったはずだ。
それでも、充分だった。
わたしにも、同じ絵が見えていたのだから。(p.59)

 

それぞれ苦悩を抱える母と娘の手記を通して、彼女たちの人生を回顧しながら悲劇が起きてしまうまでの過程を描き出す、湊かなえ長編ミステリ

 

女子高生が自宅の中庭で倒れているのが発見されたという記事から物語は始まる。
世間は事故自殺かと騒ぎ出し、母と娘の関係を嬉々として思い巡らせる。

 

その後、自身の母親への愛が忘れられない「母」
不器用に母親への愛情を求める「娘」
彼女たち二人が語り手となり、事件が起こるまでの日々を回想する。

 

母からの愛を一心に受け、それに応えて生きてきた「母」にとって娘の行動は理解できず、自身の母親を介した娘への愛情は歪んだままだった。

 

一方、母親から受ける愛の形に戸惑いながらも、ただただ無償の愛を求め続けた「娘」の献身は、心に溢れる想いの大きさとは程遠く、拙い状態でしか母に伝わることはなかった。

 

そして、彼女たちの手記でそれぞれ描かれる光景は、同じ時を過ごしたとは思えないほど食い違っていく。物語が進んでも互いに求める幸せが重なり合うことはなく、意図した想いがかけ離れた形で伝わるたびに、彼女たちの関係性はどんどん歪になっていく。

 

全ての愛情が正しく伝わることはない。彼女たちが愛をなすりつけたり、待ち侘びたりしている姿を見ていると、一層、その意味が残酷に響いた。

 

それでも、小説の中で提示される「母性」とは何なのか、その答えを読んだ時、彼女たちが抱いていた愛の形の片鱗を少しだけ理解できたような気がした。

 

それにしても、登場する男たちの頼りがいと存在感の無さと言ったら。
最後まで女性の強さに圧倒されたまま終わっていた。

 

では次回。

「革命前夜/須賀しのぶ」の感想と紹介

184.革命前夜/須賀しのぶ

 

「価値観なんて、たった一日で簡単に反転する」(p.121)

 

冷戦下のドイツに音楽留学のために訪れた主人公は、国内を取り巻く因縁の歴史に翻弄されながらも、自らの音と向き合い成長していく、須賀しのぶの長編小説。

 

ベルリンの壁崩壊前の東ドイツ、バッハの生まれた国へ自らのピアノと向き合うために訪れた主人公の青年は、ドレスデン音楽大学で優秀な学生や留学生たちとともに、日々、音楽の探求に勤しんでいた。

 

そんなある日、彼は教会のオルガンでバッハを軽やかに演奏していた女性が奏でる、澄んだ輝きを放つ銀の音の虜になってしまう。

 

しかし、彼女は国家保安省・シュタージの監視対象であり、異国人である主人公を冷たい態度で突き放す。そこで主人公は、自らが現在住んでいる国がどれほど国家に縛られているのかを思い知らされる。

 

東西をベルリンの壁に隔てられたドイツは、色鮮やかな街並みが目を惹く西側と比べ、東側は無機質で整然とした世界が広がっており、そこかしこに潜む国家の目に見張られながらの生活を強いられていた。

 

そんな、色褪せた灰色の街を舞台にした物語を少なからず彩るのは、古くから音楽文化が色濃く残るドレスデンで演奏される名曲の数々。

 

また、この物語を読んでいると、当時、蔓延していたであろう、それぞれの街の空気感や風景の色合いを、まるでその場に立っているかのように肌で感じ取ることができた。

 

そして、鉄のカーテンによって閉ざされていた東西がベルリンの壁の崩壊によって開かれるまでの、国民の反体制運動の高まり亡命を求める群衆のうねり、そして、この時代を生きる者が胸に抱いていたであろう戦いの焔が燃え上がっていく様を読者は目の当たりにする。

 

音楽自体は変わらないのに、素晴らしい曲も演奏する人の評価も、築き上げた地位でさえも、社会の変容や些細な行動によって瞬く間に反転する。だからこそ、その渦中で失われたものを拾い上げるためには、一つ一つの歴史を辿っていくしかないのかもしれない。

 

では次回。

「ライオンのおやつ/小川糸」の感想と紹介

183.ライオンのおやつ/小川糸

 

ここには、ささやかな希望がたくさんちりばめられている。(p.75)

 

若くして余命わずかと告げられた女性が、瀬戸内に浮かぶ島のホスピスで過ごす最後の日々をあたたかに描きだし、2020年の本屋大賞2位を受賞した小川糸の長編小説。

 

主人公の雫は33歳という若さで人生に残された時間がもう残り少ないことを知らされ、最後の日々を「ライオンの家」と呼ばれるホスピスで過ごすことを決心する。

 

瀬戸内の海に浮かぶその場所は、過ごす人々の人生に残された日々を幸せな記憶で埋め尽くすために、館内の至る所に様々な希望が散りばめられていた。

 

そんな希望の一つとして、人生の最後に食べたいおやつをリクエストすることができることを知った主人公は、同じように余命を申告された居住者、そして犬の六花と触れ合いながら、過去の記憶を辿って人生最後のおやつを何にしようかと思い悩む。

 

物語の中で描かれる主人公の些細な言動からは、ささやかな喜びや悲しみの感情に振り回されながらも、心の隙間が少しずつ埋まっていくことに安心しているような、そんな目には見えない温かな幸せを感じ取ることができる。

 

そして、正反対の感情を行ったり来たりしながらも、美味しいものを食べること好きなものと触れ合うこと過去の記憶を胸に抱くことは、ずっと変わらず彼女に幸せを分け与えてくれていた。

 

最期の旅立ちを受け入れることと、諦めることの意味は違う。だからこそ、主人公が緩やかに死を受け入れながらも、最後まで生きることを諦めないでいたことは、読み終わった今でも、心の中に希望の明かりを灯してくれる。

 

個人的にプリンを逆さまにして食べたくなる気持ち、すごく分かる。
そっちの方が何倍も美味しそうに見えるから。

 

では次回。

「キノの旅/時雨沢恵一」の感想と紹介

182.キノの旅/時雨沢恵一

 

「止めるのは、いつだってできる。だから、続けようと思う」(p.12)

 

国から国へと移動しながら旅をする一人の人間一台のモトラドは、各地で世界の不条理さを目の当たりにする、時雨沢恵一冒険ファンタジー

 

短編形式で非常に読みやすいが故に、どこまで読んだのか分からなくなる。
だから、もう一度、最初から読み進めて行こうと思い立った。

 

2丁の拳銃を器用に使いこなす旅人キノは、言葉を話す二輪車エルメスとともに、国から国へと移動を続けながら各地を放浪する。

 

彼らが訪れるのは、様々なルールのもとに成り立つ国。

 

人の痛みが分かる人々が住む国何もかもが多数決で決まる国長く続いた戦争が終わり、平和になった国

 

一見、理想的な世界に見える国々で過ごすキノエルメスだったが、滞在している間に少しずつ街や人々の様子に違和感を感じるようになる。

 

それぞれのエピソードで語られる物語は、まるで古くから伝わる寓話のようで、美しさに隠れた醜さが露わになるにつれて、どこまでも世界は表裏一体で成り立っているのだと、乾いた感情に苛まれてしまう。

 

それでも、どこか俯瞰的な目線と達観した面持ちで世界を眺め、そして、時に感情的になってしまうキノと、場の空気を和ませながらキノを見守るエルメスの姿を見ていると、旅路の果てにある美しい世界を少しだけ信じてみたくなる。

 

では次回。

「タルト・タタンの夢/近藤史恵」の感想と紹介

181.タルト・タタンの夢/近藤史恵

 

白い皿の上で、アイスクリームは静かに溶けていく。
まるで、魔法が解けるように。(p.48)

 

商店街にひっそりと佇むフレンチ・ビストロで起こるちょっと不思議な出来事は、無口なシェフの手によって鮮やかに紐解かれる、近藤史恵短編ミステリ。

 

小さなフレンチレストラン「ビストロ・パ・マル」では、気取った特別な料理やフルコースではなく、本場フランスの家庭料理を中心とした素朴な味を楽しむことができる。

 

そんな場所で従業員として働く主人公は、俳句好きでワインソムリエの女性高級ホテルでスーシェフをしていたコックなど、愉快な面々とともに店を切り盛りしていた。

 

しかし、そんなフレンチ・ビストロに訪れた人々は、素敵な料理に舌鼓を打ちながらも、ささやかな謎を店に残して去っていくこともある。

 

妻の作ったタルト・タタンを食べてお腹を壊した男、鵞鳥のカスレをわざわざ食べたいと希望する女性、割り切れない数のチョコレートを販売するショコラティエ

 

何だか腑に落ちない、頭の隅に引っ掛かるような謎は、ビストロで振る舞われる魅惑の料理と共に、それら全てを作り上げる、侍のような見た目をした無口なシェフによって紐解かれていく。

 

物語の中では、馴染みのないフランス料理の数々がいくつも登場するけれど、そのどれもが思わず食べてみたくなるぐらい魅力的に描かれていて、豊富なフレンチの知識に驚かされながらも、ふらっとレストランに立ち寄りたくなる誘惑に駆られる。

 

こんなビストロが家の近くにあったなら、きっと常連になって通いたくなるんだろうなと思う。ちなみに、まだフレンチを食べたことは人生で一度もない。

 

では次回。

「鎌倉うずまき案内所/青山美智子」の感想と紹介

180.鎌倉うずまき案内所/青山美智子

 

「ただ俺は、流れ着いた先での、そのつどの全力が起こしてくれるミラクルを信じてるんだ。思いがけない展開で次の扉が開くのがおもしろいの。」(p.56)

 

令和元年から平成元年までの間を6年ずつ遡りながら、鎌倉を舞台に人生の岐路に立つ人々が新しい時代に向かって歩み始める、青山美智子連作短編集

 

出版社を辞めるか悩んでいる20代の会社員、YouTuberを目指す息子を改心させたい母親、付き合っている人と結婚するべきか葛藤する図書館司書の女性

 

今を生きる中で、何かを目指して歩いていたはずなのに、不意に道から逸れてしまったかのような感覚を抱く彼らは、鎌倉を訪れた際に、古ぼけた時計店の地下にある不思議な案内所に迷い込む。

 

そこには双子のおじいさんたちが所長である謎のアンモナイトと共に待っていて、迷い込んだ彼らに「はぐれましたか?」と優しく問いかける。

 

舞台となる鎌倉は変わらないのに、時代が違えば、人が異なれば、短い物語の中で様々な悩みや想いが交錯して、彼らの人生は迷路のようにあやふやになっていく。

 

そして、舞台となる鎌倉は変わらないからこそ、どれだけ時代を経ても、何気ない繋がりがふとした瞬間に偶然出会って起こる、思いもよらない展開に読者は驚かされる。

 

忙しなく過ぎる日々の中で「このままで良いんだろうか」「間違っているんじゃないか」と思い悩むことは誰にだってある。何かから「はぐれて」しまったとしても、気づかないふりをしてしまうことだってある。

 

そんな時に、ぐるぐると階段を下った先にある「鎌倉うずまき案内所」は、心を落ち着かせて歩いてきた道のりに思いを馳せながら、迷わず前を向いて歩いていくための道標のような存在になっていた。

 

この前、鎌倉を訪れることがあったから、小町通り江ノ島電鉄が走る風景の中を歩く登場人物たちを、少しだけ想像することができた。そういう楽しみも読書の醍醐味なのかもしれない。

 

では次回。

「浅草ルンタッタ/劇団ひとり」の感想と紹介

179.浅草ルンタッタ/劇団ひとり

 

お雪のピアノに合わせて舞台上で季節が過ぎていく。
劇場の天井の澄み切った青空から光が降り注ぐ。
音が光になり、光が歌になる。(p.113)

 

煌びやかな遊郭が立ち並ぶ吉原から少し離れた浅草六区で、行き場をなくした女性たちが集まる「燕屋」を中心に繰り広げられる人情劇を描いた、劇団ひとりの長編小説。

 

様々な理由でその身を娼婦へと移した女性たちが集まる「燕屋」の店の前に、ある日、一人の赤ん坊が捨てられているのを千代という女性が発見する。

 

かつて遊女として吉原で働いていた彼女は、過去に自らの子を亡くしており、周囲の反対を押し切って赤ん坊を育てることを決心する。

 

お雪と名付けられたその子どもは、温かく見守る「燕屋」の人々とともに賑やかな幸せに囲まれて成長していたが、店を利用していた一人の男の狼藉によって、彼女らの人生の歯車は大きく狂い始める。

 

明治から大正へと時代が移り変わり、物語の場面が登場人物の視点とともに転換していくと、まるで小説内に登場する芝居小屋の演劇のように、悲喜こもごもな出来事が積み重なり、がらっと人々の様相も変化していく。

 

そんな過酷な運命に翻弄されながらも、時代の節目を耐え抜いていく登場人物たちを、それでもかろうじて繋ぎ止めていたのは、浅草六区に広がる下町が独自に育んだ芸術や文化だったように思う。

 

まだ9歳だったお雪が目を輝かせながら観覧した「風見屋」の芝居、西洋の文化を取り入れながら独自の進化を遂げた「浅草オペラ」の舞台。

 

古くから残る浅草の文化に助けられながら、彼女らは順風満帆とは到底言えないような人生に希望を見出そうとする。

 

また、これほど哀しみにまみれた出来事が立て続けに起こる中でも、登場人物たちが決して無くさない、人情味あふれる優しさが一際、光っていた。

 

この物語を読んで、浅草という地には、過去から引き継がれている清濁入り混じった歴史が刻まれているのだと、改めて思い知らされる。

 

そして、そんな哀しみや寂しさも、全てを抱え込んで、でも最後には笑えるような、並々ならぬ底力を感じる浅草が、自分はきっと好きなのだ。

 

では次回。