カタコトニツイテ

頭のカタスミにあるコトバについて。ゆる~い本の感想と紹介をしています。

「ベルリンは晴れているか/深緑野分」の感想と紹介

149.ベルリンは晴れているか/深緑野分

 

爆弾の炎がいかに街を焼き、醜い姿に変えようと、夏の青い夜は美しい。(p.18)

 

第二次世界大戦で敗れたことにより連合国軍の統治下に置かれたドイツで、17歳の少女は殺された恩人の死の謎を解くために、陽気な男を引き連れてベルリンから旅立つ、深緑野分の長編ミステリー。

 

ずっと読みたかった本なので、文庫化されたと聞いてすぐに購入。
文庫版になっても表紙がハードカバー版と同じだと、なんか嬉しくなる。

 

1945年、ナチス・ドイツの敗戦により、米ソ英仏の統治下に置かれたドイツは、戦争が残した数多くの爪痕が刻まれたまま、未だに人々は癒えない傷を抱えていた。

 

そんなベルリンの街で、アメリカ軍の従業員食堂で働いていた主人公の少女アウグステは、恩人であった男の不審な死に関わったとして疑いの目を向けられるが、とある計らいから、その男の訃報をある人物に知らせて欲しいと頼まれる。

 

彼女は知らせを届ける道中、戦争が生んだ多くの犠牲と歴史、そして、幼き頃から今までの人生に対して思いを巡らせる。

 

ナチス党によってねじれていく国と人々、ユダヤ人に対する迫害、戦争の始まり、大切な人々との別れ、そして、17歳となった彼女に残された記憶。

 

物語の背景として描かれる歴史の中では、実際に起きたとは到底信じられない残虐非道で耐え難い出来事が平然と行われていて、一瞬の高揚を求めて染め上げられていく思想は瞬く間に国中に広がっていった。

 

戦いから解放されても、それは自由を意味するわけではなくて、悪と敵対しているものが正義だとも限らない。翻弄されるのはいつの世も、国に取り残されたマイノリティたちだった。

 

深緑野分さんが描く物語と背景に流れる歴史は、決して吹いたら飛ばされそうな軽いものではなくて、ソファにどしっと深く腰掛けた時のような、のしかかってくるような重圧を感じる。特に、DPキャンプでのユダヤ人の描写は忘れられない。

 

今まさに、始まってしまった戦争。それは、不意に現れたものではなくて、根深く突き刺さったまま誰も抜く事のできずにいただけで、ずっとそこにあった。

 

だからこそ、自分たちは知らなければいけない。
積み重なった歴史と戦争の引き金となった出来事を。

 

嘆き悲しむことができるのは、現在も戦いの犠牲となっている国民と、それに関わる人々だけだから。

 

では次回。

「赤と青とエスキース/青山美智子」の感想と紹介

148.赤と青とエスキース/青山美智子

 

どちらの立場になっても、私はいつも自分から先に手を放してしまう。
待っていられないのだ。熱すぎるのも、冷たすぎるのも。(p.30)

 

これから先の将来に不安を抱えながらも、一枚の絵画の行き先で五つの愛の物語が綴られる、青山美智子連作短編集。

 

今年の本屋大賞候補作ともなった作品。
タイトルのエスキースとは、絵画を描く際の「下絵」のこと。

 

留学先のオーストラリアで馴染めずにいた一人の少女は、友人の集まりで偶然出逢った男と期間限定の繋がりを得たことで、臆病だった心が少しづつ変わっていく。

 

しかし、別れの時が近づくにつれて漠然とした不安に包まれていた少女に対して、男はある画家が描く絵画のモデルになって欲しいと頼み込む。

 

描かれたのはエスキースと名付けられた、一枚の絵画。


赤と青の二色で彩られた少女の絵は、どこかやりきれない想いを抱えた人々たちを見守るように、それぞれの章で姿を現しては再生のきっかけを与える。

 

廃れゆく額職人という仕事と自らの将来を憂う男性。
アシスタントだった後輩に一瞬で追い抜かれ、自虐的になる漫画家。
50歳でパートナーと別れ、一人で生きていくことを誓った女性。

 

言葉に出来ない悄悄たる感情を飲み込みながら日々を生きていく中で、その場に居合わせる一枚のエスキースに導かれるように、彼らは素直な想いを吐露していく。

 

登場人物たちが告白するありったけの想いは、独りだけではなかなか気づけない代物で、どうにかこうにか手繰り寄せないと残らないカケラの様なもの。

 

それを著者の青山さんは一つづつ拾い集めて、慈愛を込めて言葉に書き起こす。だからこそ、綴られた文章は滑らかに滞ることなく心の奥にスッと入ってきた。

 

最終章に明かされる一つの仕掛けは、それまで読んでいた物語にさらなる彩りを加えて、見ていた景色を一変させる。五つの物語が合わさって、一枚の絵となるように。

 

また、タイトルになぞらえて物語に散りばめられた赤と青の対比も素敵だった。
バタフライピーが飲み物だと読むまで知らなかった。

 

では次回。

「隻眼の少女/麻耶雄嵩」の感想と紹介

147. 隻眼の少女/麻耶雄嵩

 

「簡単よ。私にとって万物の言葉の整合が大事なの。」(p.183)

 

隻眼の少女探偵は山奥の寒村で突如として起きた連続殺人事件を解決するべく立ち向かうが、18年の時を経て、惨劇は再び繰り返されていく、摩耶雄嵩の長編ミステリー。

 

ずっと気になってた作品。驚くというか呆気に取られた。

 

神様の力を宿す一族の伝説が古くから残る村をとある理由で訪れていた主人公は、突如として起きた殺人事件の犯人として疑われているところを隻眼の少女に助けられる。

 

彼女はいくつもの謎を解決してきた「御陵みかげ」という母の後を継ぎ、名探偵としての船出を迎えようとしていた18歳の少女探偵だった。

 

主人公は彼女とともに、不可思議な状況で起こる連続殺人事件の謎を解明しようと試み、最終的に事件の幕は落ちるが、18年の時を経て再び惨劇が繰り広げられる。

 

人の感情や情緒がどこか削ぎ落とされたような物語と、終盤に近づくにつれて怒涛のように畳み掛けてくるストーリー展開は相変わらず麻耶雄嵩らしさ全開だった。

 

基本的にミステリーはどこをひっくり返してくるのか、大体目星をつけて読んでいくことが多いのだけど、摩耶さんの作品は罠がどこに仕掛けられているか全く見当がつかない。

 

好き嫌いはあると思うけど、人間関係や心理的な駆け引きではなくて、トリックや仕掛けに重点を置いている姿勢は一貫していて素晴らしい。また次の作品で。

 

では次回。

「ダック・コール/稲見一良」の感想と紹介

146.ダック・コール/稲見一良

 

リョコウバトという鳥は、過ぎ去ったある時代の天空を翔ぬけたパッセンジャーの大集団であり、サムという名の一青年は、今はもう還ることのないある時ある所の、豊穣の自然に触れることのできた幸運者であり、彼もまた時の流れの一隅を通りかかった独りのパッセンジャーだった。(p.94)

 

石に鳥の絵を描く男と出会った青年は、鳥と男たちによって紡がれる6つの物語の夢を見る、稲見一良の異色の短編集。

 

ずっと読みたかった稲見さんの物語。
タイトルのダック・コールには、鴨笛という意味がある。

 

味気のない無味乾燥な毎日を送っていた主人公は、新鮮さと驚きを求めて飛び出した旅路の果てに、石に野鳥の絵を描く一人の男と出会う。

 

彼が石に描いた様々な鳥たちを眺めているうちに微睡んでしまった主人公は、鳥にまつわる6つの物語に思いを馳せる。

 

大量の鳥たちが狩られる現場に居合わせた青年、密猟に憧れた初老の男と類い稀なる狩りの才能をもった少年の冒険譚、山に逃げた脱獄囚を追う男たちのスリリングな攻防戦。

 

時代も、国も、歳の数も。何もかもが異なる舞台において、変わらずに物語を彩るのは、豊富な知識を携えた著者によって生き生きと描かれる野鳥たちの姿。

 

絶滅するリョコウバトの群れ、山中に響くホイッパーウィルの合唱、流木に佇むグンカンドリなど、物語の中に確かに息づく鳥たちの姿が、幻想的な世界観でありながら、どこか現実と地続きになっているような不思議な感覚を呼び起こさせてくれる。

 

自然界の美しさと人間の愚かさを切り取ったパッセンジャー「ホイッパーウィル」の話が個人的に好きだった。人間と鳥の関係性について考えさせられる。

 

鳥類史上最も多く生息していたにも関わらず、何百億という数が人の手によって乱獲され、百年余りで絶滅の一途を辿ったリョコウバト

 

オーデュボンによって描かれたひとつがいのリョコウバトの姿は、もうこの世に存在しない現実の残酷さと対比されることで、一際美しく見えるのかもしれない。

 

では次回。

「悪いものが、来ませんように/芦沢央」の感想と紹介

145.悪いものが、来ませんように/芦沢央

 

この子のもとに、幸せばかりが待っていますように。
悪いものが、来ませんように。(p.12)

 

二人の女性の語りによって、子育てや家族関係が発端となる鬱憤が露わになっていくにつれ、恐ろしい結末を予感させていく物語が綴られる、芦沢央の長編小説。

 

引っ越しやらで忙しく、全く本を読めていなかったのでリスタート。
その一発目となるこの本で、ものの見事に騙された。

 

不妊夫の浮気という悩みを抱えながらも、助産院で粛々と働き続ける生活を送る紗英にとって、唯一心を許せる存在であったのが、子どもの頃から親しい存在であった奈津子だった。

 

しかし、その奈津子も社会で働くという経験のないまま母親となったことから、社会からの隔絶を肌みに感じながら、育児という先の見えない日々を送っていた。

 

仕事と育児。その二つにおいて、まさに正反対とも思える状況にありながらも仲睦まじい関係を保っていた彼女たちであったが、一人のある行動が引き金となり、やがて恐ろしい事件へと繋がってしまう。

 

芦沢央さんの作品を読んだのは初めてだったのだけど、登場人物たちの些細な言動に潜む不気味さや刺々しさ、そして、直接的ではないのに、全身に絡み付いてくるような拒絶感を感じる文章表現の上手さが際立っていた。

 

また、物語のテーマともなっている夫婦間・親子間の関係は、決して正解が無いからこそ、誰もが思い悩む問題でもある。各方面が納得するような関係など存在せず、今が上手く進んでいたとしても、将来かけて正しいと言い切れる確証もない。

 

そして自分は、物語に登場する彼女たちが、決して文中で第三者に噂されているような狂気に塗れているわけではなくて、誰もが気付かぬうちに成りうる姿だと思ってしまった。

 

彼女たちの狂気への恐怖ではなくて、
一貫した行動に違和感を感じさせない恐怖。

 

ただ、何よりもこの物語に隠された罠を見破れなったのが悔しい。
きっと読み返すと、さらに悔しさが増すんだろうな。

 

では次回。

「わたしの美しい庭/凪良ゆう」の感想と紹介

144.わたしの美しい庭/凪良ゆう

 

___それでいいんだよ。幸せに決まった形なんてないのだから。(p.23)

 

小さな神社が屋上にあるマンションで、ままならない想いを抱えながらも、前を向いて日々を生きていく人々を描く、凪良ゆうの長編小説。

 

新年も明けて気持ち新たに読める作品が良いと思ったので、この作品を選んだ。凪良さんが描く救いの物語は満ち足りない幸せであることが多いけど、そこが好きだったりする。

 

小学生の百音は父親の統理、そして同じマンションに住む路有とともに、周囲からは変わっていると噂されながらも、何気ない日々を健やかに過ごしていた。

 

そんな彼らが住むマンションの屋上には、小さな神社が美しい庭の一角に建てられていて、様々な人々が心に絡まる悪縁を断ち切ってもらうためお祈りに訪れる。

 

緩やかな日常で浮き上がる憂鬱、心の底で澱のように溜まっている未練、目には見えないのにのしかかる周囲からの重圧

 

まるで小さな棘のように、日々を過ごす中でチクチクと突き刺さるそれらは、忘れたいはずなのに心の隅に居座り続けては、ふとした瞬間に目の前に現れる。

 

ただ、この物語では、そう言った逃れられない悲しみを無かったことにはしない。
登場人物たちは悲しみをありのまま受け入れた上で、決まった形のない幸せを受け取れる場所を探しに行く。

 

悲劇的な出来事、特異な人柄や関係性といった「普通」ではない事象に、人はどうしても「変わっている」という烙印を押して、身勝手な感情を嫌味なく押し付けてしまう。

 

5歳で両親を事故で失うことも、離婚した妻が遺した血の繋がらない娘を引き取ることも、同性を愛することも、きっと世間から見れば「普通」ではないのかもしれない。

 

それでも彼ら三人は、周囲から変わっていると言われようと、かわいそうだと思われていようと、彼らにとっては「普通」であるその生活を、何不自由なく過ごしている。
胸を張って好きだと言える暮らしを送っている。

 

どこか儚げで、蜃気楼のような雰囲気を感じる作品だったけど、温もりを感じるような確かな優しさもたくさん詰まっていた。言葉選びも好きだったから、また、いつか読み返したいな。

 

では次回。

「同志少女よ、敵を撃て/逢坂冬馬」の感想と紹介

143.同志少女よ、敵を撃て/逢坂冬馬

 

「私の知る、誰かが…自分が何を経験したのか、自分は、なぜ戦ったのか、自分は、一体何を見て何を聞き、何を思い、何をしたのか…それを、ソ連人民の鼓舞のためではなく、自らの弁護のためでもなく、ただ伝えるためだけに話すことができれば…私の戦争は終わります」(p.101)

 

第二次世界大戦の最中、ソ連の狙撃兵として戦場を駆け回った少女たちの生き様を描く、第11回アガサ・クリスティー賞大賞を受賞した逢坂冬馬の長編小説。

 

ドイツ軍に襲われた故郷の村で全てを失った主人公の少女は、駆けつけた女性兵士によって女性狙撃兵を養成する訓練学校に連れて行かれる。

 

同じように家族や親しい人々を失った少女が集うその学校で、彼女たちは銃の撃ち方から戦場での極意に至るまで、狙撃兵として生き抜くための知識と技術を叩き込まれることになる。

 

その後、晴れて学校を卒業した彼女たちが送り込まれたのは、第二次世界大戦独ソ戦において最激戦区となったスターリングラードの攻防戦であった。

 

史実に沿って忠実に描かれる戦況の中で、彼女たちは仲間の死を見届け、敵兵の命を自らの手で奪い、戦争によって引き起こされる「死」に慣らされていく。

 

獣を打つことに抵抗を抱いていた少女が、命乞いをする敵を無慈悲に撃ち抜いていく。
引き金を引くことを躊躇っていた少女が、殺した敵の人数を「スコア」として誇る。

 

歴史の中でしか知る由もない、怒り、憎しみ、悲哀、興奮にまみれた戦場を主人公とともに追体験しながら、戦争が生み出す悲劇を目の当たりにする。

 

しかし、この作品の中で命からがらに戦場を駆け回る彼女たちは、決してフィクションによって生まれた人物などではなくて、史実の中で確かに生きた女性狙撃兵たちの姿に他ならない。

 

ドイツとの友好を築くために外交官を目指していた主人公の少女が、ソ連の狙撃兵としてドイツ兵を何十人も撃ち殺したように、肥大する敵国への憎悪は戦場で相対する一人の人間に集約される。

 

国と人が当然のように同一視されていく思考。
そして、その思考が誰にでも起こり得たことが恐ろしかった。

 

また、この作品では、戦場において孤独な狙撃兵の生き方にも焦点を当ててている。少女たちが切磋琢磨しながら友情を育み、血生臭い戦場の中でも互いを思い合う姿を見て、ただただ生きてて欲しいと願うばかりだった。

 

女性狙撃兵たちが「敵」と見做したのは誰だったのか。
主人公の勇姿を、最後まで見届けてほしい。

 

では次回。